今日は新潟水俣病患者が初めて水俣を訪れた日。スタッフの一言に書いたので読んでください↓
新潟は、社会に対して水俣病を通したさまざまな学問や文化を伝えている。相思社でも新潟に関する書籍類の扱いや、新潟へ数年に一度通っての交流を続けている。新潟水俣病をより知ってもらいたい。相思社で購入できる新潟水俣病関連書籍18冊のうちの一部をご紹介します↓ ぜひ買ってください。
https://www.soshisha.org/…/books/niigata-minamata-desease
・里村洋子さんの『安田の唄の参ちゃん+(プラス) 瓦職人・新潟水俣病未認定患者 渡辺参治さんの聞き書き』。本の前半は瓦職人で新潟水俣病未認定患者 渡辺参治さんの聞き書き、後半は新潟水俣病安田患者の会の旗野秀人さんの聞き書き。参治さんは仲間6人で阿賀野川沿いにあった昭和電工社宅の屋根葺き仕事に行って、昭和電工が垂れ流した水銀に汚染された魚を毎日毎晩食べ続け、水俣病になりました。参治さんは唄が大好き。十八番は「博労唄」。若い頃からいろんなところで唄ってきた参治さんをみて「ニセ患者」と心ない言葉を浴びせる人もいました。でもその一方で参治さんの唄は聴衆の耳に心に心地よく響きます。後半では水俣病患者の語り部として25年間、全国を行脚した様子が描かれます。全国行脚へは、安田住研を運営しながら、新潟水俣病安田患者の会のボランティア事務局をする、また参治さんの唄の囃し手である旗野秀人さんが一緒です。二人が行脚のなかで繰り広げられる、豊かで愉快な世界観に魅了されること間違いなしです。
・『記録集 旅地蔵阿賀をゆく』。これまた新たな表現で新潟水俣病の世界を描きます。ハンセン病との関わりも深いアーティスト・髙橋伸行さんが水と土の芸術祭2015で行ったアートプロジェクト「旅地蔵ー阿賀をゆくー」の記録を中心としたお地蔵さんの物語。ちょうどこの直後に水俣へいらして、車でまちをご案内したのが懐かしい。足尾・渡良瀬川で生まれ、阿賀で行き場のなかったお地蔵さん。“旅地蔵”と名付けられ、阿賀野川の最河口 松浜から鹿瀬の草倉銅山精錬所跡地に近い阿賀のほとりの神社跡に落ち着くまで旅をした日々が写真と文章で綴られています。なぜ地蔵がここに来て、阿賀野川を遡上し歩いたのか。「阿賀に生きる」からつながる“新潟水俣病”のことは、たくさんの人々の想いと行動によって形づくられています。地元では声に出しにくいであろうことをアートプロジェクトとして考えるきっかけを与えたという意味も大きいでしょう。
・新潟水俣病短編小説集『律子の舟』と『葦辺の母子』。いつも細やかな気遣いで周囲を和ませる、新潟県立大学の後藤岩奈教授が、泣きながらこの本の一節一節を朗読してくれたのを聞いたことがあります。新潟の方言とともに描かれるのは水俣病を巡る差別と偏見。主人公の律子が差別を受けた結果、何が起きたのか。そして律子の周囲の人々の変化や気付きが描かれています。『律子の舟』の続編である『葦辺の母子』。表題作「葦辺の母子」は胎児性水俣病の子を持ち、自らも水俣病に苦しむ母子の、周囲からの偏見と差別に苦しむ姿を描いた作品で、新潟水俣病に関わる無理解な差別と偏見を乗り越え、昭和電工と国に対して立ち上がる人々の姿も描いています。
・『新潟のメチル水銀中毒症 その教訓と今後の課題』は患者とともに歩んできた齋藤恒医師。90歳の齋藤さんは、なんとも今年の4月まで新潟市の木戸病院で外来診療を続けておられました。診療の合間を縫って書かれたこの本には、2017年11月に新潟水俣病の行政訴訟で、東京高裁のは一審判決では認められなかった2人を含む9人全員を認めるよう新潟市に命じられ、患者側の逆転全面勝訴に至るまで半世紀が描かれています。医師の視点による中毒事件や臨床医学、疫学の問題から水俣病をどう捉えるかや、水俣病対策会議の初代議長として裁判闘争を患者と歩み、検診も行う医師が見出した「第二の水俣病」の真相と深層に注目です。