50年前の学生に会いに

この間、というかコロナ禍以降、若者一人での来館、来訪が増えました。彼らの感性は鋭くて、みずみずしくて、語らうたびに、ヒリヒリします。

若い人たちは言います。「社会から決められた枠があって、そこから出られないと思い込んでて。その中でどう上手くやっていくかを考えてきた」「勝ち組負け組や、正規非正規がすぐ隣にある世界」「大学は考えたり学んだりできる場だと思って入ったけど、入学したらすぐ就職に追われる。大学ってなに?」「患者さんたちが、その枠を大きく越えて、チッソという名の国を相手に戦った姿にあこがれをもってやってきた」。

若い人がコロナ禍以前からもっていた生きづらさ。それがコロナ禍で加速したのだと知りました。そこに蓋をせず、そしてそのまま放置せず。その正体を探したり、そこから脱する術を探して水俣に来る若い人を、私は本当に尊敬します。

今戦っている患者、苦しんでいる患者は本当にたくさんいるけれど、でもいわゆる1969年提訴の第一次訴訟や1971年からの自主交渉で「戦った」患者さんたちは、多くが亡くなってしまっているから会えなくて。
だから、患者とともに生きてきた元大学生(支援者)や、患者のこどものもとへ連れていきます。
彼らはもう70を越しているのにすっかり二十歳の顔になって、あの人たち(患者さん)がどんなにすごい戦いをしたか、支えようとする自分にどれだけの勇気を与えてくれたか、自分がどんなに患者さんから愛され励まされたかを語ります。

土のにおいのする大人たちの独特の存在感。周りに染まらず、へつらわず、なじまない強さ。相手との境界線がない不思議。権力を振りかざす者が持ってくる甘い話に転んだふりをして決して転ばない。
戦わない、戦えないたくさんの患者たちの中で、やむにやまれず立ち上がった患者たちは、試行錯誤しながら周りを巻き込み必死に戦い社会を動かした。
そうやって、愛する患者さんたちの話をするときや、大学のおかしさに共感するときの二十歳の顔と、初めて会った大学生を存分に愛する頼もしい顔とが交互に現れます。
きっと若い人を愛そうとするこの顔は、70オーバーの彼らを愛した患者さんの、その顔なんだと想像します。
そして、若い人が自分よりずっと年上の人を、そうは扱わない姿にも、胸がすっとします。自分を卑下したり、相手を必要以上に敬ったりしない。人として、対等に尊重するという姿勢です。

話を聞きたいという若い人の姿を見ながら、私はこの20年、こういうことをしてきたのだと気が付きました。
患者さんたちの痛みをお腹いっぱいに聞いた私は、悲しかったし、苦しかったし、時には自分の加害性に気づかされたけれど、そのすべてが財産です。私の体はもう、患者さんたちの痛みや喜びで形成されているのだと思うくらいに。
そして若い人たちも。もう、痛みに触れなかった、痛みを聞かなかったあなたではありません。

患者さんたちが感じてきた傷は癒えることなく、今も生々しく血が滴り落ちていることを、話を聞くたびに思います。
私がともにいたこの20年だけでも、苦しみの中にある目の前の患者さんが権力によってさらに踏みつけられた、口を塞がれたと感じたことは何度もあって、それぞれの傷は私のなかに生々しく残り、塗り替わることも上書きされることもありません。
一つひとつの傷は、患者さんと過ごした時間は、それぞれが際立って、いつも同じ熱量でそこにあります。
特に死んでしまった人たちはそう。彼らのことを語ろうとすると、いつもこみあげてくるものがあり、涙があふれてしまいます。

でも最近、私はどの人と経験したどのことにも、きっと同じように精一杯向き合って、傷ついてきたのだと、だから、塗り変わらないのだと知りました。患者じゃなくたって、当事者じゃなくたって、傷つくのだと。傷ついていいのだと。

そして、彼らが深い傷を負うときに、患者さんたちを一人にしなくてよかったと、心から思います。私には何かはできなかったかもしれないけれど、でも確かにそこにいることはできた。患者さんの隣にいて、同じ経験をして、そして一緒に傷ついた。
痛みを口にしたいと言ったとき、一緒にいて話を聞いた。もしも話を聞く人がいなければ、あの人はずっと語らなかったかもしれない。

傷ついたからと言って、その後を不幸に過ごす必要はないことも知りました。
むしろ、だからこそ、今を精一杯、一緒に幸せに生きたいと、生きなければならないんだと。思いっきり呑んで、歌って、踊って、語って。幸せに生きなければなりません。
そういえば、今年も、「冥途の土産旅行」に行きました。新潟の籏野さんたちに倣って、冥途の土産は多いほうがいい、と20年もつづいてきた旅です。
あれだけ賑やかだった宴も、威勢のいいおばさんがいなくなり、周りをよく見てさみしそうにしている人に語りかけるおじさんが入院し、踊りの上手なおばさんが杖をつくようになり、人数も年々減って、少しずつ確実にさみしくなってきました。それでも最後の一人まで。冥土の旅はつづきます。

思い切って書くけど、水俣病患者がいなくなるその前に、若いあなたがその大切な時間を使って水俣へきて、患者さんや、患者さんと生きた人とともにあろうとして、患者さんの痛みや喜びやその戦いを、自分の体の中に受け取って、これからを生きていこうとすることを、心から尊敬します。
生きづらさの正体を、自身の手で探り、ここ水俣までたどり着いたその感性を尊敬します。
そして水俣の経験をもって、どこへでも行って、やりたいことを存分にやってほしいと思います。
人と出会い、語らい、たくさんのことを感じて、考えて、変化してほしい。
社会を変えることができるのは、変化できるあなたです。

私も、ここに生きて、元学生の人たちのように患者さんの痛みを聞いたという財産をもち、それを人に共有できる人になりたいです。
若い人も若くない人も、これからも、どうぞよろしくお願いします。

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