第五十一回法要会

今年も、無事に、「水俣病センター相思社法要会(ほうようえ)」を開催することができました。ご協力をいただいた皆様に心より感謝申し上げます。

当日の朝、相思社職員全員が仏間に集合し、仏具を磨き、仏壇を、位牌を美しくします。相思社には、130近い、患者や猫の位牌をお預かりしています。


そして、チッソから届いた花と、相思社が準備した花を飾ります。猫の墓にも小さな花を生けました。
そうしている間にも来る予定の人たちから電話がかかり、「ビナ(巻き貝)を持って行くから」「漬物はあるか」。島の人たちからも「予定通り」と。幸い晴れ、そして風もありません。船も問題なく出航です。
辻さんは、お茶やお菓子の準備を確認し、小泉さんは受付を作り、迎え入れる準備をします。坂本さんは女島や津奈木や田川まで、患者さんたちのお迎えです。木下さんは駐車場係。佐藤さんはお茶を出します。

ご挨拶は、こんなふうにしました。
みなさま、本日はお忙しい中、お集まりをいただきまして、ありがとうございます。
相思社にとって、この「法要会」は、何よりも大切な行事であり、また相思社の活動の原点であります。
水俣病センター構想が芽生えたのは、地域で孤立していた一次訴訟原告たちが、判決後に「地域の中で生きていけるだろうか」という不安を持ち、「拠りどころを作りたい」との思いを発したところからでした。
そして、1974年、その思いを受けとめた多くの人たちの働きによって相思社は設立されました。
当初の構想は、すべての患者の拠りどころ・たたかいの根拠地・医療機関・資料センター・共同作業場などを、段階的に実現していく、というものでした。
そのなかで、患者たちが最初に求めたのが、この仏壇の存在でした。帰ってくるようにして、ここに集いたい、という思いの現れとして、家族の位牌を持ち寄ったのでした。
そして50年、一年も欠かすことなく犠牲者を悼みつづけることができましたのは、その時その時を支えてくださった皆様のおかげです。本当に、ありがとうございます。
本日、お気持ちを寄せてくださるみなさまと共に、犠牲になられた命に思いを馳せられることをありがたく思います。
今年もご法師様には、西念寺の堀真哉ご住職をお迎えいたしております。
でははじまりのご挨拶を、こちらにお位牌をお預かりしております、松﨑重作さんと悦子さんのご遺族の、松﨑重光にお願いしたいと思います。
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コロナ禍でも50年、たえず相思社法要会に足を運んだ松﨑さんの、「まさか自分が遺族になるとは思わなかった」という言葉が印象的でした。
みんなで、経典を見ながら、声を揃えてお教をあげました。ご住職の声に重ねて皆様と唱えたお念仏に、ご遺族が口にした悲しみが慰められるようでした。
お念仏を唱え終え、ご住職のお話で印象的だったのが「息を引き取る」という言葉でした。
―引き取る、という言葉には、「預かる」という意味があり、その主語は、私である。私が、亡くなられる方の息を受け取る、その方の人生の思い、願い、声なき声を引き取る、預かるという意味があるということでした。
それと、仏壇があることで、安心して泣けるという言葉。相思社の大きな仏壇は、何人の涙を受け止めてきたことでしょう。

茶話会の前には、数人でしたが、考証館に展示しているチッソ附属病院での原因究明に使われたのと同じ数の、猫の写真を見ていただきました。


漁村で生まれ、生きてきた患者さんたちが「うちの村でも猫が狂った」「猫がほとんど死んでしまった」という言葉に、堀住職は静かに耳を傾けてくださいました。

茶話会は、お参りにお越しくださった方々の手作りのお漬物や、みかんやビナをいただきながら、おしゃべりに花が咲きました。漬物の漬け方や、ビナをめぐる楽しい話、このにぎやかな場が、鬼籍に入られた皆様にとっても、何よりの供養になったと思います。

今年も、秋の日の数時間、お気持ちを寄せてくださったみなさまと共に、水俣病で命を失った人々、そして生きものたちに思いを馳せることができ、法要会が相思社にとって、何よりも大切な行事であり、また相思社の活動の原点であることを、改めて確かめる時間となりました。

相思社集会棟という場で途絶えることなく続けてきた法要を、これからも、立派にではなくとも確かな歩みで力をあわせて続けてゆきます。
これからも相思社のことを、どうぞよろしくお願いいたします。
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追記 今年感じたこと。

今年も挨拶のために書いた原稿を、職員や宿泊者に音読をして聞いてもらいました。
この10年、はじまりのご挨拶と進行をする中で、ご遺族を前に、お礼を言ったり、仏壇に位牌が集まった経緯を説明したりするときに、遺族でもない自分がはきだす言葉が薄っぺらくて、おこがましい気がして、恥ずかしくて。毎年、ガッチガチになって、ガッチガチの言葉を発してきました。

今年、練習で原稿を読みながら強く感じたのは、自分の薄っぺらさより、法要会が続いてきたことへの感動というか、その尊さでした。
この50年、歩みを止めずに行われてきた法要会。水俣病によって奪われた命を感じ、その犠牲を覚えつづけることの重要さ。
それは、昨年の9月1日の関東大震災の追悼集会に行ったときに、感じたものと似ていました。あの場に参加させていただいたからこそ、相思社の法要会の意味を、再確認できた気がします。

だから私はその犠牲を覚えつづけるために、どうやってこの仏壇ができたのか、その経緯を、位牌になった人たちの紹介を、どんなに未熟でも、口にして、伝えつづけて良い。し、続けなければならない。そうしなければ、犠牲を覚えつづけることはできない。そういうことを、今年、思いました。

相思社は、法要会をはじめ、相思社の活動を一緒に支えてくれる仲間を募集しています。職員&アルバイト募集、詳しくはホームページから
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