明日、鹿児島水俣病の患者に会う。
10代や20代の私は、水俣出身のところを「鹿児島」と偽ることで、生まれ故郷から逃げていて、少しでも楽に生きたいと思っていた。
その水俣に逃げ帰って、鹿児島の患者に出会って、「私はここにいるのに、鹿児島で、私たちはいないことになっている」という言葉を聞いて、自分の考えのなさや、浅はかさを、突きつけられた。
海に境はなかった。
今年の慰霊式にも参加しなかった鹿児島知事は、若い記者にその理由を尋ねられ、「当事者県ではないから」と答えた。だけれども、県下に患者は無数にいる。
記者は知事の発言を、自分のことのように悲しみ、そして記事にした。
同じ水俣病なのに、熊本県にあって、鹿児島県にない制度や施設は無数にある。
熊本の患者のことと同時に、彼らより光の当たりづらい鹿児島の患者も、見つめたい。そしていま、鹿児島のために何ができるか、頭を絞る。