耳が遠くなった溝口先生。パソコンで内容を打ち込みながら、ああでもないこうでもないと作業しました。先生の言うことをそのまま打ち込むようにしました。それでも第一回の弁論書に近いものになったけど。
途中、マスコミの人が来たりして混乱して、最後には疲れちゃったけど、積年の思いを伝える最後の機会です。なんとか完成しました。
今日、東京の最高裁判所から、「当日は先生の文字通訳で最高裁の原告席に入れる」と連絡がありました。最後まで、先生の隣で支えていきたいです。
そして裁判が終わって、先生が安心して暮らせる環境を相思社から作っていきたい。
もう一つ。昨日、大阪のFさんという方が亡くなられました。先生と同じく水俣病の裁判を闘っていた方で、この3月15日、溝口先生と同じ最高裁で口頭弁論が開かれる予定でした。地裁でFさんの勝訴判決が出たときには一報を伝えに走り二人で万歳をして泣いて喜び、「次は先生の番だね」と話しました。大阪でFさんの娘さんにお会いしたときは私もとても良くしていただきました。ご冥福をお祈りします。
先生は、「関西訴訟から数えて三十年。何でこんなに裁判が長くかからんといかんのか。それがおかしい」「死ぬまで闘わないといけないなんて」と語っておられました。先生の裁判も同じ事が言えると思います。
裁判は、Fさんの娘さんが継承されるそうです。
3月15日、13時からFさん訴訟、15時からは溝口訴訟の口頭弁論です。18時半~は近くの会場で報告会です。
お近くの方は、ぜひご参加ください。報告会だけでも結構です。東京でお会いしましょう。シェア歓迎。
http://homepage3.nifty.com/mizogutisaiban/
写真は去年先生と行ったツル博物館。先生はツルが大好きです(*´∀`*)