最高の日

今日は、溝口先生と一日デートでした。
まずは先生宅で、車に今日会う人にあげるみかんと山菜(わらび)を積んで、坪谷で満開の菜の花を摘んで。熊本市へ向けて出発です。

一軒目は石牟礼道子さん邸。二軒目は私が講演をする中学校。三軒目は末息子さんが通っていた高校の野球の先生。

事の発端は数日前。
先生に「熊本の中学校に講演に行くんだ、石牟礼さんとこにも行こうと思ってる」と言ったら「道子ちゃんに会いたいなぁ。連れていってくれんかな。死ぬ前に会いたい」、「じゃあ一緒に行こうか」と。

到着後、早速石牟礼さんのお宅でのランチ。二人ともすごい喜びようでした。旧友に再会したような。
冗談を言い合いバカ話をし、石牟礼さんの古い本に出てくる人物(共通の友人)の思い出を語り合い、書の素晴らしさや自然健康法、有機農業やみかんの味の違い、水俣病の現状のまずさを語り合う。
先生は耳が遠く、通訳がいるので隣の私は石牟礼さんやヘルパーさんの言ったことを耳元でもう一度繰り返します。そうすると、不思議な四人の世界がゆっくりと過ぎていきます。なんとも心地良い空間でした。
ランチがカツ丼だったのは、「裁判に勝つ?」。
きっともっといたかったでしょうが、講演の時間が近づきタイムオーバー。
帰り際の二人の会話がステキで。「道子ちゃん、私はあんたば疲れさせたな、悪かったな」「いいえ楽しかったですわ、でも溝口さんこそ疲れなったでしょう?」「いやいや、私はまだ若かですけん」86才(石牟礼さん)と81才(先生)の会話です。
そして家を出て、先生が言った言葉が「今日は最高の日じゃ」。泣きそうでした。先生が幸せを感じたことが幸せでした。私は心から先生が好きです。

溝口先生と石牟礼さんと永野と

 

 

 

 

 

そして午後は、中学校で講演をしました。人数が60名程度と少なく、かなり時間があったので、全員で一体感を持って「水俣病って何?」を考えられる参加型の講演になりました。
一人ひとりにあなたならどうする?と質問してまわり、全員が答えてくれました。みんなで真剣に悩み、命の話になると鋭くなる眼差しや涙目の子。
文科省の出した「中学生の特徴=人を避ける傾向にある」なんて真っ赤なウソじゃん。

あなたなら、どうする?

 

そして最後の5分間は溝口先生に話をしてもらいました。なぜ自分が裁判を始めたのか、亡き母への思い、胎児性水俣病患者の息子さん、それになぜ自分が早くから有機農業や無農薬栽培、合鴨農法などをやってきたか(まっすぐに生きたかったから。おかしいことをおかしいと言える生活がしたかったから。近所では相当変人あつかいされてましたが、最近では合鴨農法を学びに来る人も!)。私は裁判に勝っても負けてもいいんです、このシャバに問題を投げかけたのだから。そして、若いあなたたちにはまっすぐに生きてほしい…。

多感な思春期の子どもたちが今日水俣病に触れたことは、溝口先生に触れたことは、この後どんな化学反応を起こすのでしょう。

こいつはマジメに書をやらない、ダメ弟子だと証言する先生

 

 

 

 

 

学校を出て、次の目的地であるK学院へ。先生のもう一人の息子さんは元野球選手。息子さんが水俣にいる頃、素晴らしい腕を持つ選手がいることを聞きつけたK学院の監督が、遠路はるばる水俣まで勧誘にきたのです。そして入学。自慢の息子の応援に、先生は奥さんと共に何度も熊本市の球場へ足を運んだそうです。先生は、いつもその息子さんの自慢をし、私は何十回も聴き続けています(もしかすると100回超えたかも)。先生の話のルーツを確認できて、今度はもっと聞く耳が変わりそう(笑)。

考えてみれば、こんなに長い時間ゆっくりと先生と向かい合ったのは久しぶりです。いつも私は仕事の途中や帰りですし、休日に遊びに行くときも娘や先生の息子さんと一緒です。

帰りの車の中で先生が言ったのは、ここしばらくずっと気持ちが不安定でイライラしてしまうということ。気丈に振舞っていますが、高裁判決前もそうでした。
一年で終わると思っていた裁判が10年を越し、最高裁まで進んでしまったのです。無理もありません。よく耐えておられると思います。

連日のマスコミ対応や介護にお疲れの先生に少しでも開放されてほしいと思って連れだしたのですが、良い気分転換になったよう。何度も「最高の日だ」と繰り返していました(笑)

帰り際、道端で緒方正実さんに会いました。「この裁判は絶対に勝つから」という正実さんの言葉に「正実くんも10年闘ったんだもんなぁ、長すぎっとたいなぁ。でも絶対勝つち言ってくれたのは嬉しかったな」と励まされ帰途につきました。

私にとっても最高の日でした。今日の全てにありがとうを言いたいです。

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