五大学をご案内

 

今日は五つの大学の学生・留学生・先生、計50名をご案内。

茂道を散策、考証館見学、~水俣駅までを車窓から見学。この企画に来られる学生さんは、みんな熱心で、質問が多く、またこちらの投げかけにも真剣に答えてくれます。

一緒に「まち案内」を作っていく感覚が、ひしひしと感じられます。とてもありがたかったです!
水俣病事件には、私たちが語らなければ無かったことになっていくことがあります。
1957年3月、水俣病の公式確認から一年を待たずして、熊大研究班・厚生省科学研究班は、水俣病の原因は魚介類・工場排水以外には考えられないという報告をまとめ、学会でも発表されました。

それを受けた熊本県は4月、「水俣湾内の魚は危険」と判断し、厚生省に食品衛生法の適用を促します。しかし厚生省の回答は、「水俣湾内の全ての魚が有毒化しているという明らかな根拠がないため、食品衛生法の適用は行わないものとする」というものでした。

それ以降、法律によって漁獲や摂取が規制されたことはありません。他に食べるものがなかった不知火海周辺の住民は、その危険を知らされることなく、その後も魚を食べ続けます。そして被害は広がっていきます。そして今また同じことが起きています。

私はその事実に怒りを抱くのです。

当時不知火海周辺に暮らしていた全ての人が水俣病の被害を受けていると思っています。患者担当をする中で、1957年以降のお生まれの方に多く出会います。今この方たちは年齢を重ね、どんどんと症状が重くなっています。

当時、流産や死産を経験した母親たちにも出会います。母親たちから証言を聞き、文字を綴った時に感じた母の痛みは、今も胸に刺さったままです。

母親たちが語らなければ無かったことになっていくこと。でも母親たちは易易とは語りません。語れないのです。闇に葬られていく事実が少しでも減らしたい、それを聞いた私が語らねばと思うと自然力が入ります。

私は当事者ではない人間が語る可能性も信じています。

この苦しみが二度と繰り返されませんように。

 

しかし力が入りすぎたようです。一部の先生から「怒っているよう」という声が(笑)。ごめんなさい、あなたにではなく、その事象に怒っているのです。
という訳で、せめて写真は笑い顔です。

カテゴリー: 活動のきろく パーマリンク

コメントは停止中です。