今日は熊本市にある県民交流会館パレアで講演をさせてもらいました。人数は50名程度。平均年齢は60代。
中には、10代の頃にお世話になった先生が来てくださって、丁寧にメモをとってくださり、とても嬉しかったです。そして去年はド緊張の中での講演でしたが、今年はココが二回目のおかげか、そんなに緊張はありませんでした。
リアルタイムのテレビで水俣病を見ていたり、「私は胎児性水俣病患者の○○ちゃんを抱いたのよ」と私が生まれる前に亡くなられた方の思い出話をされる方、「田中裕一先生が初めて公害授業をした時には、子ども相手に残酷だという批判が多かったのよ」と公害教育の走りをご存知の方たちの前で水俣病を語るというのは正直緊張するものです。
講演終了後は、ここをもっと言って欲しかったというアドバイスをいただき、教えられることが多い講演になりました。
(天皇がチッソの一番の株主だから、国もマスコミも尻すぼみになっているんだ、とか、国策なんだからそれをもっともっと言ってよ、とか。)
いつも子どもや若い方を相手にお話をしているのですが、年配の方に話をする方法を考えなきゃいけなかったなという反省も。
患者ではない自分が語るということ。当事者って誰?という自問。
語ることに対しては、まだ時々おこがましいと思うことがあるけれど、じゃあ語る資格のある人って誰だ?ない人って誰だ?
そんなこと言ったら先へ進まないんだ、広がらないんだ。みんなが語っていけばいい。
というわけで今夜は振り返りをしっかりしようと思います。
今日いただいた質問を以下に記しておきます。全部は答えられなかったけど。
☆もし公式確認から現在の間に「特定秘密保護法」が存在していたならば、裁判所は構成な判断を成し得たか。
☆水俣病被害者団体が多いので、それらの組織と主な考え方について
☆いわゆる中風との違いとその見分け
☆行政の取り組みについて。
☆裁判しか救済方法はないのでしょうか
☆病名のいわれ
☆最近亡くなられた医師、原田正純さんの実際の印象があれば教えてください。
☆水俣病患者に対して相思社が力になれること、なれないこと。
☆旧聞ですが、第三水俣病朝日新聞の掲載を差し止めたもの・理由・原因は何でしょう。
☆水俣病発生時以来の遺構は現在どのくらい残されているのでしょうか?(企業側、患者側、どちらも)。現在熊本では三角西港や万田坑の世界遺産登録が騒がれていますが、私自身は「水俣」こそそれにふさわしいと考えています。先の遺構があれば、それを中心に地域一帯が登録できればと思います。
☆熊本県の小学五年生は、全員水俣に見学に行くと聞きました。どんな教育をされているのでしょうか。それは、水俣のゴミ問題なのか、水俣病の原因や現代の話(差別)なのか、気になります。
☆熊本県以外の生まれですが、45年ほど前に熊本の大学に進学することを知人(熊本)と話したら、熊本には大きな伝染病が2つもあるのでやめたほうが良いと言われたことがある。まず熊本県民に水銀中毒による公害であり、実態を周知させることが重要である。なぜに水俣病という地名での病名を付けたのか。四日市ぜんそく、イタイイタイ病と同じように、水俣水銀病としたらどうか。