昨日は朝から50代の方がみえました。「何が一番辛いですか?」と尋ねると、頭痛だといいます。
水俣病を抱えて生きる人たちの多くが持っている症状。この方は、小学校低学年の頃から、ひどい頭痛に常に悩まされ、夜中にもどすこともあります。やっとの思いでしている仕事も休みがちです。
医者からは「原因不明」「もう治りませんね」と見放され、治療法は「注射を打ちに来るか、薬を常備して痛くなったらすぐ飲むか」。頭痛薬は毎日、朝昼晩と飲み、それ以外にも痛くなったらすぐに飲む。それでも襲ってくる頭痛の恐怖。そんな生活が続いています。
「これさえなければ水俣病に認めてくださいとは言わない」。
この方は結婚した20代の頃、味覚障害があることに気がつきました。県外に嫁ぎ、嫁ぎ先の家族からいつも味付けがおかしいと言われる。主婦としては辛いことです。周囲で異臭がするというのに自分は分からない。耳鳴りが辛い。
めまいや立ちくらみは中学生の頃からありますが、最近特にひどくなったといいます。
年を重ねるごとに症状が重くなるのは、水俣病の特徴です。だからこそ、若い世代の水俣病患者の今後が不安です。今は自覚症状が軽かったり我慢出来ても、50歳になると症状はぐっと重くなります。
彼女は他にも手足のしびれ、ふるえ、足のつり、階段や畳のヘリでのつまずき。腕の力が抜け、コップや茶碗、包丁を落とすなどの症状を抱えています。
沢山の人の苦しみを垣間見てきましたが、私にとっていつまで経っても苦しみは「普通」になりません。
そしてこの人は患者とは認められない。人の人生にこれだけの被害を与えながら、認められない。
2011年以降、こういうことがある度に原発被害者の今後が頭に浮かぶようになりました。
相思社で、水俣病患者の苦しみに寄り添うとともに、そこで知ったことを一人でも多くの人に伝えたいと思います。
被害を受けた人はなかなか語ろうとしません。語らないのではなく、語れないのです。しかし、その語られないことに、真実があると思うのです。
なかったことにはしたくありません。
環境省が「感覚障害だけでも水俣病の患者と認定することが可能」という通知を熊本県に出す方針を固めたそうです。
熊本県知事の「水俣病の患者認定について(県が担う)患者認定作業を返上する覚悟で、環境省にものを申していきたい」という発言は、私の中ではちょっとあっぱれでした(あんた誰という感じですね)。
溝口秋生先生のお母さんの裁判では、「感覚障害のみ」のチエさん(お母さん)が水俣病と認定をされました。今回環境省は、「感覚障害しかない人は、メチル水銀摂取歴や居住歴、発症時期など因果関係を具体的に調べて判断する。」そうです。
今回私が経験した被害者手帳の申請では、熊本県から対象外の被害者に求められたものは、「公的証拠」。
「当時の魚の領収書を出してください」。誰が50年も前の魚介類の領収書を取っていますか。というやり取りを何度繰り返したか。
何十年も前の「メチル水銀摂取歴」なんて、誰が分かるのでしょうか。住民調査でもしていたら「公的証拠」とやらが残っているのでしょうが、そんなことは誰もしていませんし。今回も同じことになるのではないかと思ったりします。
溝口秋生さんのお母さんの裁判では、熊本県は「お母さんを解剖していればよかったのではありませんか」と言いました。第二世代訴訟の傍聴へ行った時にも同じようなことありましたが、証拠が残っていないことを被害者の責任とする行政側の姿勢に疑問を抱きます。
「具体的に」の内容をしっかりと見て行きたいと思います。
ということで!相思社は今日も開いてます♪そんな話をしたいところなので、どうぞ皆さん水俣病歴史考証館へ見学にお越しください(*´ω`*)