「Aさんが受からった(水俣病認定された)せいで、せっかく水俣病が終わりかけとったとに、まぁた盛り上がり始めたな。」
そういうおじちゃんも水俣病の手帳を持っている。
でも水俣病はもう終わらせたい。住民感情は複雑だ。
水銀に関する水俣条約外交会議のときは、
「みっちゃん、“水俣”ちいう名前ば条約に入れるのはやめろち言ってくれ」と言う、また別のじいちゃん。
仲が良ければ良いだけ複雑さと出会うが、それこそが、水俣病事件なんだとも思う。
私はこのじいちゃんやおじちゃんが好きだ。正直な感情も大切にしたい。
でも一方で認定申請をしている人たちも大好きだ。この気持ちには差がない。同じように可愛がってもらい、色んなことを教わった。その人たちが生きづらさを感じるだろう世の中は、嫌だ。水俣病に対する意見は、前者の人たちがまだ水俣では多数派のように感じる。中立とは何か。多数派と少数派の中間に立って、強いものと弱いものの中間に立って、何が中立か。本当の中立とは少数者の側に立ってこそ。生前にしたインタビューで原田正純さんは言った。
闘わざるをえない人の思いを、どうしたら知らせることができるだろうか。
今日もまた揺れながら、水俣病を伝える。
写真は大好きなアコウの木。昔むかし、漁師たちはこの木に船をつないでいた。
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