水俣ではむかし人が亡くなると、遺族や親戚、近所の人たちが、色とりどりの弔い旗を持って家から納骨堂やお墓まで行脚しました。
写真はそんな弔い旗が原案である、怨の旗。
1960~70年代、水俣病によって失われた生命の遺族でもある患者たちが、この旗とともに水俣病の被害を訴え公害列島日本を行脚しました。
患者の濵元二徳さんから随分前に聞いたのには、「怨」という字は水俣病によって失われた生命に寄り添った自分たちの無念の思い、怒り、悩み、苦し み、哀し み、そしてもっともっとむかし、まだ水俣病になる前の自分たちの貧しくて豊かだった暮らし・そこで生まれた喜びや悲しみ、苦労や支えあいの思い出をも含ん でいると。
今日、3月11日は、多くの生命が失われた命日。
この弔い旗とともに祈りを捧げます。
そして残された人々の思いに心を重ねたい。
水俣病とは失敗の歴史です。解決せず、教訓化もされず。だけど歩んできた道はある。この失敗から学び、共に歩んでいきたいと思っています。
いま脱原発を実現しなければ、日本に未来はないと思っています。
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