今日、なんと娘が小学校を卒業しました。
朝早くから、お友達でおちこち庵というカフェをやっている仁美さんに着付けてもらいました。着物ってシャキっとするし、何よりオシャレ♪もっと普段から着たい。
娘が小学校に入る直前まで、私たちは共に日本や海外を巡り、娘の小学校入学とともに水俣へ帰り、相思社に入りました。当時の私にとって定住するということ はとにかく至難の業で、「子どもが小学校を卒業するまでの六年間だけ、相思社で勤める」ことを宿題にして、娘の成長に支えられながらこの六年間を過ごしてきました。
暮らしてみるとコンプレックスだった地元を見る目が変わり、この地で人や風景に救われながら子育てできる幸せを知りました。そして今では、ここに骨を埋める気でいます。
今日は、相思社に福島の方たちが来られて、私達を育ててくれる水俣の人たちも集ってくれて、みんなにお祝いの言葉をいただきました。本当にありがとう。
そしてその中で、私が17才で妊娠をした時に、悩んだ末の母から相談を受けたおじさんが「子どもを信じて、子どもの信じる道を行かせなさい」と諭してくれ た話を初めて聞いて!そういう私たちの命の恩人が、きっとどこかしこに沢山いるんだろうと思います。そして、「今あなた達の姿を見て、私の言ったことは間 違っていなかったと思った」と言ってくれたことが嬉しかった。大丈夫だよ、生きていくよ。
もう一つ。初めて知ったこと。今日も合唱では娘の声だけが、特別に聞こえてきました。
娘が産まれ病院にいる時、保育室で沢山の子が泣いている中で、娘の声はすぐに分かって、これは間違いなく親子の絆というやつだと思い込んでいたら、隣のマ マが、「みっちゃんの娘ちゃんの声、よく通るね。彼女の声だけすごくよく聞こえる」と言うので思い直しているところです(笑)。
私が娘とともに「旅をする」ことを選んだことで、彼女は割と人生の最初っから多様な人たちの中にいました。あちこち歩く度に様々な文化や価値観に触れるこ とが当たり前だったこの子が定住し、毎日決まった時間に一箇所に行くこと、色んな年齢の人達ではなく同じ年に生まれた子たちだけとの長い時間に戸惑い大変 な思いもあった六年間だったろうと思います。「親は理不尽なもんだよー」と言いながらも、生きづらさを感じている様子の彼女に申し訳無さや不甲斐なさも感 じています。
相思社はいながらにして旅。色んな人に出会い、様々な思いや考えに触れることができます。しかも、それは当時の旅のようにこちらから求めたり興味を持った人たちだけではなく、有難いことに飛び込んできてくれて!これは願ってもないことで!
だから相思社が、「いながらにして旅」の場所として色んな価値観の人が集い、そこでは分けることも切ることもせず、娘や色んな人たちの生き場所になればと 思っています。相思社に来る人たちに、娘は実際に救われているのです。例えば今日もね。そうやって、とにかく「生きて」いってほしい。
これから思春期に入って、ますます大変なこともあるだろうけど、授かった命、育てようと決めた命、大切に大切にしながら共に歩いていこうと改めて思いま す。この生きづらい時代、とにかく、生きていてほしい。「どれだけ君を見ているか」「しっかり受け止めること」を行動で示し続けたいと思います。
今日はたくさんの人に支えられて私たちがあることを改めて知り、たくさんのありがとうを感じた一日でした。
家族、いつも支えてくださる水俣の友達やおじさんおばさん、遠くの友達、旅でお世話になった人たち、相思社と一緒に私たち親子をも見守ってくださっている会員の皆さん。みんなみんなありがとう。
写真は水俣に帰って来た頃と、本日の卒業式。
どちらのふたりも、沢山の人の愛の中で生きています。安心して迷惑をかけあえる(かけられる?)社会の中に私はすでにいた。この小さな社会を広げていこう。