昨日のこと。朝の9時。水俣病認定申請を希望する患者が、いとこに連れられて突然やってきた。なんと関西からアポなし。
「電話じゃ失礼やっけん、顔なっと出さんば」というのは水俣のじいちゃんばあちゃんのアポなしの常識。
しかしその人の理由は違いました。
「永野さん、忙しいからいないかもしれないと思ったけど、来てみました」といとこさん。この方の申請の相談を、数年前に受けた。
「そうですよー、いなかったらどうするんですかー?」と冗談交じりに言うと今度は関西からの認定申請希望者が、「いなかったら縁がなかったんやぁ思うて、諦めよう思うとりました」。
水俣病と認められたい。でも認められたくない。その人は、そのはざまで揺れていた。
症状を聞いていくと、重い。就職をした15歳の頃に、自分の体がおかしいと気づいた。家族が、きょうだいが、みな体調不良を抱えていたため気が付かず、我慢を続けていた。
関西に出て、自分の症状が周囲と違うことに気がついた。95年、2010年、きょうだいが申請したが、水俣病患者への偏見から自身は踏み切れなかった。
今回は縁があったということでその方は、認定申請をする。
そうやって、縁のあるなしで申請を決めざるを得ない人の気持ちを思うと、やるせない。
水俣病に解決なんかない。それだけのことを私たちはしてきたんだから。愚かなわたしたちの出来事をこうして発信することで、寝た子を起こし続けたい。