先日、2001水俣ハイヤ節を習う機会がありました。
2001水俣ハイヤ節は、茂道の杉本栄子さんと荒馬座という東京の民族歌舞の芸能集団が一緒になって創作した踊りです。水俣市内の小学校では必ず踊るそうで、友人は踊りを教えに来た栄子さんが厳しくて怖かったと話していました。
去年は、機会があって袋小学校での「魂入れ」という行事を見学しました。
運動会で披露する2001水俣ハイヤ節を魂を込めて踊ることができるように、という行事です。
患者の話を聞き感じた事をそれぞれが紙に書いて、グループごとにつなぎ合わせて詩を作っていました。そのあと踊りを見せてもらいましたが、複雑な振り付けで難しそうだなぁ~と思ったことを覚えています。
友人から聞いた踊りに厳しい栄子さんにしても、「魂入れ」というただごとではない名前の行事にしても、水俣の人たちのハイヤに対する思い入れの強さがわかります。
宮河さんという荒馬座の団員の方が、栄子さんに出会った時のことを荒馬座のHPに書いているので引用します↓
踊りの師匠杉本栄子さんとの出会い
今から十年前の春のことだ。シンガーソングライター黒坂正文さんの紹介で水俣市袋地区茂道に漁師杉本栄子さんを訪ねた。袋地区は黒坂さんのアルバム「茂道」で詩(うた)われている通り、不知火海の美しく静かな入り江のほとりにある先祖代々の漁師たちの村だ。一方、水俣病患者多発地区としても知られていた。
栄子さんはこの時、開口一番「楽しかところに人もモノも寄ってくる。患者も同じぞ。」と言った。頭をガーンと殴られた衝撃だった。何か重く暗い「患者像」を勝手に「期待して」お話を伺おうとしていたのを見透かされたようだった。
僕は一生懸命ソーラン節を踊った。見透かされた心をかなぐり捨てるかのように。
「ようし。踊り比べじゃ負けんぞ。」栄子さんが踊ってくれたのは牛深ハイヤ節。水俣病になる以前は大漁の喜びを恵比寿様に感謝する踊りとして、水俣病になってからは不自由な手足のリハビリとしても栄子さんがずっと踊り続けてきた踊りだ。
「寝たきりになっても、目だけでも踊りたい」
踊りとは何かを教えられたひとときだった。
(http://www.araumaza.co.jp/entry/2011/0110130400.html)
今回教えて頂いたのは、その宮河さん。ひとつひとつの振り付けの意味を説明しながら教えてもらいました。
振付の中には、本家の牛深ハイヤ節とは型が違う箇所があります。
例えば、船を漕ぐ振付。牛深ハイヤでは着物を着て踊るので足の動きは小さいのですが、水俣ハイヤはソーラン節のように足を大きく開きます。これは、最初に宮河さんが披露したソーラン節を栄子さんが喜んだことから。
足の動き、手の動きにも意味があります。
ゆったりと前に進む動作は、「風の色を見る」という動作だそう。杉本栄子さんは風の色が見えたらしい。空を見上げながら手で陽をさえぎり、もう一方の手でふわりと風をなでる動きとのことです。でこぼことした岩の転がる海辺で風の色を見るとき、足の動きは自然と「抜き足差し足」のようになる、という説明。
うーん、むずかしい・・・
リズムに合わせて歩くだけだと思っていた動作は、出漁のほら貝の音を聞いてみかん山から勇み足で下るという場面だそうです。
こ、こまかい!
コミカルな魚(イオ)どんの動き、わかめの動き。栄子さんは魚の動きをしてみせて、患者同士のケンカをやめさせたこともあるそうな。栄子さんの「楽しかところに人もモノも寄ってくる」という言葉に、そうやなぁと思うけれど、水俣病のせいで身体も心も苦しかったはず。
そんな中ではたして楽しかことなんて考えられたのだろうか。
海に潜って「ぷっ」と顔を出すという振付がある。これは、ただ海に入るだけではなくて死のうと思って海に入った時のことを表しているらしい。何度も死のうとしたけれど、そのたびに海は栄子さんの身体を浮かび上がらせたという。
こんなどん底の経験を踊りにするなんて。
水俣病の苦しみも、楽しかことにしてしまおう、楽しかことで包み込んでみんなで踊ってしまおう、という栄子さんの明るさと強さはいったいどこから来るのだろう。
楽しいことだからこそ広まって継がれていくだろうし、踊りから読み解かれる水俣病もあるはず。
私は「魚どん魚どん♪わかめわかめ♪」が頭から離れず、口ずさみながら踊っている。