2011年度水俣病情報発信事業報告 1

1. あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会報告

■参加者

あばぁこんねメンバー:天野浩、高倉草児、松本仁美
埼玉大学安藤ゼミ:安藤聡彦、院生C(記録)、他学生22名
相思社:遠藤邦夫、永野三智、芳田弓生希

■スケジュール

14:00 ~ 天野浩さんの話
15:00 ~ 天野浩さん、高倉草児さん、松本仁美さんと3グループに分かれて
16:00 ~ 話したことの共有化と意見交換
18:00 ~ 懇親会

■天野浩さん(あばぁこんね代表)の話

天野:こんにちは。何日水俣はどうです?

学生:何度か来ているので懐かしい感じがします。

天野:外からの人からいろいろ聞いて発信したい。水俣のことだけをやっていても、自己満足になってしまうの で、外のまなざしを借りて水俣を調べて発信していきたい。きっかけはみなまた環境大学で、私は起業をするという分科会を担当しました。あばぁのメンバーで は、私はお茶農家ですが、観光農園をやっている福田さん、保育園園長の井上さん、もじょか堂という一次産品を扱っている沢井さん、ガイアみなまたで無農薬 農産物の販売や加工をしている高倉さん、久木野愛林館で森林保護をしていたけどその後水俣に住み着いた松本さん、みんなで集まって飲み会をしながらやりた いことを話した。水俣にこだわってやっている人がいることを改めて確認しました。月1回ミーティングをやってきて、この9月で2年になります。物販、新し い物作りにこだわっています。

遅くなりましたが、自己紹介です。天野浩と申します。エコなお茶作りかな。水俣東部の山中の石飛で、無農薬でお茶作りをしています。父が32年前に 無農薬のお茶栽培を始めました。水俣で出来たものを売ってきたんですが、水俣と言うだけで売れない時期がありました。水俣産のものというと水俣病と関連さ せて考えるので、買ってもらえない。でも作ったお茶は売らないと食っていけませんから、それで家のおやじは考えて市民を1件1件訪問してお茶を売り込んで いきました。相思社にも早い段階から行ったようです。15年前から紅茶を軸に仕事を組み立てようとしたのですが、こちらは紅茶のつもりだったのですが、最 初は「紅茶が緑茶みたいだ」とか「堆肥じゃないのか」などと酷いことを言われましたが、親父は試行錯誤を重ねて、「けっこうおいしい紅茶だね」と言っても らえるようになりました。紅茶といっても新しい切り口じゃないと注目してもらえないので、無農薬に特化したお茶作りを32年間やってきました。最初は3ヘ クタールでしたが、お茶の値段も下がってきて周りの人が辞め始めて今では6ヘクタール栽培しています。

市場には出さず自分たちで買ってくれる人を見つけてきました、いわゆる産直販売でしょうか。去年から大手の羊羹を扱っている和菓子屋さんで扱っても らっています。それで紅茶が足らないくらいになりました。水俣病の風評被害をうけてやってきたのですが「状況がどうでも生きていかないといかん」というよ うに、親父が前向きだったことがよかったです。ここでやっていくしかないと覚悟を決めていたんです。私は20才の時から親父と一緒にお茶作りをして、今年 で16年目です。36才になりました。モノづくりもおもしろいのですが、なにしろ水俣は僻地辺境の地です。なにしろ都会から遠いんです。人が入って来るに は遠いので、水俣のことは人伝えでないと見えてこないように思います。私たちは一生水俣に居続けます。「ここにいて良かった」と言えるように、水俣でない と楽しめないことを創らないと思っています。

あばぁこんねの会は2年前に立ち上げて、これまで物販とかをやってきました。水俣病の公式確認から50年以上たって、次の世代の人たちが活躍できる 時代になりました。今までだったら言いたいことも言えなかったけれど、50年たつとそれも変わってきました。段々と新しい人と人のつながりができはじめ た。それに伴って新しい村の形も考えられるようになりました。あばぁのメンバーも、メンバーの父・母の世代が会うとケンカになるかもしれませんが(笑 い)、子どもの世代だと以前の対立を引きずったような「考え方が違うから一緒には出来ない」とかはありません。ここのところは意識してやっています。考え 方・生き方の違いはあたりまえ、仲違いして疲れるよりも違いを利用して新しいモノをつくろう。あばぁのメンバーは、みかん農家、チッソの人、フリーター、 役所職員、お茶農家など、共通していることはみんな「水俣に暮らし続けたい」なんです。水俣に来れば、挫折した人も元気になるような地域にしていきたい。

あばぁマルシェとして物販もしていますが、そこでは自分で作ったものを自分で説明して売っていくんです。直接売ることで良い反応も悪い反応も受け止 めることができます。ひとりよがりでだめだったんだ、と反省もできます。ネットワークをひろげていこうと、今あばぁのメンバーは24人です。それぞれ仕事 を持っていて忙しいんですが、水俣にいる20-30代は全部で2000人ぐらいですから、あばぁの目指すのはこの2000人のネットワーク作りです。その 次には、物作りをしてる人はあばぁに参加しやすいんですが、会社の勤めの人たちもなにか活躍できる仕事を創っていきたいんです。今は、「海」というテーマ でクリアファイルを作成しています。水俣の海を撮り続けてきた尾崎たまきさんに写真を提供してもらいました。

あばぁは、水俣に来た人たちに水俣の魅力を発信していく。それが自分たちに返ってきて再確認できたりする作業も大事です。なんでもどんどんやってい こうと思っています。同級生とも話をしますが、「水俣は面白くない」「買い物行くところもない」「何もない」というのが大半です。ないものねだりをして愚 痴ばっかりでおもしろくなりません。自分で面白くすればいいんです。そうすれば忙しくなるし愚痴をいっている暇もなくなります。まずは味方をつくっている ところです。新しいモノがわき出てくるようなおもしろい地域にしたいんです。杉本栄子さんが言ってた「イオ湧く海」に水俣がなればと思っています。真水が 湧いている汽水の海は、小魚が育ったり傷ついた魚が傷をいやす場所なんです。「来たら元気になるところ」「新しい発見をするところ」に水俣をしていきた い。そういう考えも入れながら「さすが水俣だな」と言われるようにしたいんです。こんな話はいきなり始めても分かってもらえないから、まずは飲み会から始 めてお互いの信頼関係を作っています。「おまえが言うなら仕方ないな」という関係を目指しています。水俣病の経験を前面には出さないけれど、根っこには 持っておこうと思っています。お互いが引っ張ってきた人のネットワークで紹介しあって、知らなかった水俣を知ってもらいたい。これまでの水俣病の積み重ね の上に乗っかっているところもありますが、それは水俣で起きたことを、事実は事実と受け止めてやっていこうとしている。

遠藤:あばぁと天野さんの紹介をしてもらいました。この企画については、ゼミの安藤さんが心配していて「いった い何が起きるんだよ?」と言われましたが、私の説明はよく分からないようでした。先行きの不透明感には自分ながら心配です(笑い)。天野さんは「水俣には 何もなか」に対して、「そうじゃない見ようとすればあるものはいっぱいある」と言われました。私はどこにおもしろさを見つけ出すかが重要なんだと思いま す。「消費社会も楽しい」でもいいんだけど、そればかりでないいろんな嗜好があって良いかなとは思います。私たち親の世代はほんとにもやい直しがうまく出 来なかったけれど、親と子どもは違うと思います。親の世代から見ると、僕らができなかったことをあばぁの世代がやろうとしていることはとても嬉しいことで す。私は相思社に勤めていて水俣病を伝えることが仕事と思っています。でも、伝えられる人の方は「伝えられて良いことありますか?」。私たちは「大事なこ とだから伝えたい」「発信したい」「分かってね」と思っている。でも受け取る方は選択的でいいんです。人それぞれで良いと思うし、すべて受け止めると大変 なことになってしまいます。水俣病を伝えられて感動・悲しみもあるかもしれないけど、暮らしていくということはもっと大事です。

年配の人たちは「水俣をなんとかしないといけない」と思ってやってきた。でも考え方で対立して、ことを一緒にやることがうまくできなかったんです。 でも次の世代はそうならないようですね。違うネットワークや発信力があるんだろうなと思います。過剰な期待をしているのかもしれないけどね。今手元にある 相思社の機関誌「ごんずい」で、あばぁの座談会のつもりじゃなかったのですが、結果的にはそうなっています。それで昨年末には環境省の人があばぁのうわさ を聞きつけて、忘年会を一緒にしました。天野さんが先ほど話されましたが、飲み会から始めようと言うのはとてもいいなあと思っています。ネットワークとい うけれど、その実態はお互いに顔を合わせて一緒に飲んだり飯作ったりとかがないと、役立つネットワークにはなりませんよね。このあたりのスピード感が、私 たちとあばぁの違いかなとシャクだけど思います。

埼玉大学の人たちは今回、緒方正実さん、山下善寛さん、御所浦のトントコ漁、烏峠、中原八重子さんの話や体験を組み合わされています。埼玉大学とあ ばぁという異質なものの出会いは、相思社的には良いプログラムになるだろうと勝手に思っています。何が生まれるのかよく分からないけど、新しい出会い・ ネットワーク・情報交換等々、いろんなモノが生まれ「愛も生まれるかも・・・」(しばらくして失笑)。

天野:私たちはお金を稼ごうというのが軸じゃないんです。吉本哲郎さんの言われる三つの経済、貨幣の経済・自 給自足の経済・共同する経済。水俣に住んでいて貨幣は要ること要るけれど、自分で畑を作って米作ってというのは、年配の人たちが元気になる元です。若者は まだ気迫だけですけどね。3つのなかで、水俣でも貨幣経済が大きくなってしまっているけれど、自給自足の経済・共同の経済を再構築していきたいということ が根っこにあります。あばぁでやっている一個一個のプログラムは、関心持ってもらったらやるという方式です。企画してやっていくと先輩ともつながっていく んです。仕事面でも返ってくることがあるし、助けてもらえます。自分がどういう地域に住んでいるのかは大事だけれど、水俣だったら生活にもネットワークに も幅があります。マチでは貨幣経済がほとんどですが、水俣では貨幣が50%・共同25%・自給自足25%くらいの感じもあるし、貨幣経済が10%くらいに なればもっと面白くなると思っています。でもこの考え方は水俣だけではなく、全国どこででも応用は利くと思います。

遠藤:共同する経済で言えば、幸福感が大きな要素になっています。大根をもらう嬉しさってのは、ただでもらう という嬉しさもあるけど、経済という範疇で考えられない幸福感を感じるね。先ほど、天野さんは上品に東京の和菓子屋と言ったけど、「とらや」という一流の 和菓子屋なんだよね。それを知って何よりもうれしかったのは、とらやのホームページに「熊本県水俣市の山間部、石飛で生産された国産の無農薬紅茶『天の紅 茶』を使用しています」と書いてあるんです。私はそれが涙が出るほど嬉しかったんです。その昔、水俣のサラダ玉ねぎを紹介したテレビ番組では、生産地を 「熊本県神川」ってテロップが付いていたんですが、市民の方が「水俣市がないじゃん」とテレビ局にクレームをつけたことがありました。水俣の子どもたちが 修学旅行に行ったら、水俣から来たというだけで辛い目にあったこともありました。だからこのとらやのHPが嬉しいんです。すこしずつ認められることが広が ると、もっとおもしろいことが起きるかも知れません。みなさんもとらやの紅茶羊羹を食べてくださいね。

天野:分かり易いのは、海老蔵が使ってくれたんです。私も最初、正直とらやって聞いてよく分からなかったんで す。いきさつとしては、うちの紅茶を扱ってくれている紅茶専門店にとらやさんから、「紅茶羊羹を考えているから、国産紅茶のうち10種類くらいをピック アップして持ってきてくれ」ということだったんです。それで羊羹を作ってみたらうちの紅茶が一番羊羹に良くあっていたんです。お茶作りを32年間やってき たんですが「変人」とか「お金にもならんのに」とか言われ続けてきました。でも良い物をきっちりやっていると評価してくれるんだなと、改めて思いました。 水俣の人たちがほめてくれるし、地元の郵便局の人が「天野さんですか」って自分のことのように喜んでくれるんです。水俣でも勝負できるんです。それを直に 感じられるようになりました。ちょっとかっこよく言えば、ちゃんとしたところとちゃんとつながっていけば道はひらけるんです。あばぁのみんなで話している のは、こだわってあきらめない人がいれば何かの形になっていく。だからメンバーも芯を持って5年10年後かもしれないけれど、必ず本物が続々でてくること になる。そんなプレッシャーを常に持ちながらですけど、良いものを創ろうと思います。

遠藤:ますます、遊ぶ人の茂さんには紅茶作りは任せられないですね。

天野:任せられないですね(笑い)。

■3つのグループに分かれて意見交換

遠藤:この後は、60分くらい3グループに分かれて、あばぁメンバーと埼玉大学安藤ゼミメンバーで意見交換していこうと考えています。どうぞよろしく。

■話したことの共有化・意見交換会

グループ①(天野浩さん)学生Hさん発表

水俣に来る前と後で、水俣の色のイメージに違いがある。前:モノクロ、漆黒など暗い色。後は、青、緑、深く暖かみのある緑、青、明るくなったけど、どこか暗いとか。
あばぁの活動について。水俣カラー、水俣を色で表すと? 水俣バディ。細胞は何週間かでかわる。何週間か水俣にいれば、水俣一色になってかえりましょう。 食べ尽くしてみなまたのものに。水俣カラーを単色にしてほしくないという意見。単色の国旗はない。色には意味がある。みなまたは、海、山。意味を持たせて ほしい。一人でも多くの人が来て良かったと思ってくれるように、という企画。活動として、お金をかけないという考え。なぜか?お金があると考えなくなる。 利益、都会的になる。みんな誰かが何とかしてくれると考えてる、そこからやらないと。

グループ②(高倉草児さん)学生Aさん発表

高倉さんは地元を離れて関西の大学へ。東京・仙台などの会社を経て、今は生まれ育った水俣で両親が創ったガイアで働いている。地元愛、愛郷心という話が出 た。愛国心、国のレベルではなく。愛せる心が大切。地元に対して、おいしかったもの、良い場所、大事な場所、とか質問をなげかけていった。高倉さんはす ぱっと答えた。すぐにこたえられるのは愛郷心の現れ。自己紹介で時間が押してしまった。

グループ③(松本仁美さん)学生Cさん発表

自己紹介から始まった。水俣の魅力について、一言ずつ。人との関わり、自然が豊か、海がきれい、毎年行く毎に懐かしい思いがするなど。松本さんからは、住 むのと旅行とは違うという話。旅行で行くと魅力的でも、住むとなると仕事がないとか、どうやれば水俣で暮らせるかという話をした。森林保全をやりたいと 思っていて、愛林館の活動としての間伐材の利用の話をしてくれた。熊本市からきた。どんな人に水俣を知ってもらいたいか。水俣の人ではなく、いろんな人に 知ってほしいとのこと。自分と人は違うということ、違いがあるということは当たり前、それを認識することが必要。魅力の話で、なぜリピートしてしまうの か。海を見たい、歌を唱いたい、毎年夏にはもう水俣に行くのが当たり前だったなど。最後に休学する話が出た。休学している人が多いグループだった。意味が ある休学はいい。自分のやりたいことがあるんだったら、いいんじゃないかと。

■最後の意見交換会

遠藤:報告してもらった。それぞれ突っ込みたいことあるだろうし。そこも含めて。

高倉:高倉草児です。ガイア水俣というところで、みかんを売ったりマーマレードをつくって売っています。

松本仁美:熊本から来ました。大学の時に愛林館に来たのがきっかけ。夏は毎年通うようになった。森林組合に就職したが、愛林館で1年働いていました。森林保全、何かできないかと思っています。

高倉:渡辺京二さん知ってる人はいますか? 水俣に来られたら、是非読んでほしい。

遠藤:一次訴訟の支援をした熊本告発をつくった人といっていい。草児くんは渡辺さんの「義理と人情」が好きということですね。

Q:高倉さんと松本さんに質問。水俣で事件があってつらいことがあった中で、若い人はどう考えてきたのか? あばぁに参加するようになったきっかけは?

松本:私の入口は久木野の愛林館でした。水俣病や海と関わり始めたのはここ2年くらいかな。水俣=水俣病とい うイメージは薄かった。あばぁは活動に惹かれてというよりは、山手に住んでいて、町の人との接点がなかった。町の若い人たちとつながるということがきっか け。飲んでる内に、力になれることがあるのかな。わいわいやってるのが楽しそうなので参加した。

高倉:面白いことやってると聞いた。友だちが帰ってきたときに、「おもしろいことやってるね」と思ってもらえ るようにしたいんです。父は川本輝夫さんについて支援活動をしてた。水俣には多かれ少なかれしがらみがある。すべてのしがらみはぶっ壊したいと思った。あ ばぁだと壊せるかなと思った。

Q:ぶち壊すことは?

高倉:まだまったくわからない(笑)。一生をかけて探っていこうかな。

天野:起きたことは良かったとか悪かったとか思っても、過去には帰られない。水俣の未来は私たちが創っていく しかない。水俣のかたちをどう創るかということにある。高倉くんのところみたいに市民権を得てないような団体(笑い)もいまだあるし、水俣の中でも関係が ずたずたなんです。私は山の人間です。水俣のことに客観的に対処できるポジションにいたのが大きい部分もある。それを上手に使ってこれからのありかたを考 えてみたい。ただ年上だからあばぁの会長なだけですけど。あたらしいことを水俣で起こしている人が増えています。今日もせっかくつながったので、後方支援 してもらって、埼玉大学の人たちから「水俣はどうなってるの?」って、いじってください。水俣に来たいという人がいればいんですが、課題もあるけどね。

松本:住むところが問題なんです。水俣は空家は多いけれど貸す人はいないんです。

遠藤:相思社に泊まっているとマチで言うと、田舎の場合は「わらじを脱いだ」ところで関係が決まるようなところがあって、人はそういう風に思うよと言うことがあります。

安藤:このゼミにはリピーターが多い。水俣に魅力があると思っているんだと思います。いろいろあると思うけ ど、単発的にくるのと生活の視点は違でしょう。外から来た人にはしがらみなんて全く見えません。あばぁの人たちは何が水俣にあって、何が不足してると思っ ているのか、そこらへんを教えてもらいたい。
高倉:とりあえず「情け」を重視しているんですが、水俣で喰いっぱぐれることはないと思う。実際に餓死するかしないかという意味ですけど。でもそのことの発信力がない。

遠藤:僕は水俣には発信力はあると思っている。三里塚の相川さんという人と知り合いになったんだけど、70年頃 は三里塚の方が光り輝いて見えていました。40年たってみると、水俣はこんなところというあるモノを蓄積してきた発信力が、少なくとも三里塚より水俣の方 があると思います。僕も最初水俣に来たときは、水俣病患者に会いに行くもんかと思っていました。水俣に来て水俣病のことをするのは当たり前すぎて、何かな るべくふれあいたくないと思っていました。一概に支援者なんて言われていますが、個々人に聞くと中身は多様です。いろんな関わり方や入口があって良いと思 うようになりました。

松本:いや私は水俣の発信力は弱いと思っています。例えば熊本県の観光ガイドブックを開いたときに、阿蘇、天草 はたくさんのページがあるけど水俣はちょっとしかない。今は人吉の方が元気なくらいです。条件的に近い人吉との違いって何でしょうか? モノは負けてなく て、やっぱり発信力違いかなと思います。

遠藤:確かにそれは僕らの力ではできなかった。水俣病をうまい具合に調整しつつ、明るく発信するのは難しいん です。僕らが作ると、どうしても水俣病が多くなってしまうんだよな。ぱっと見たときに行ってみようと思うようなガイドブックを是非、あばぁの人たちに作っ てもらいたい。人吉にしたって、萩にしたって、観光だけではない文化や食べ物や自然をちゃんとかいたガイドブックがある。

高倉:旅行に行きたい時何を見る? ご飯、温泉、ほっとできるような場所とかだよね。

天野:どういう風に生きていくのか。自給自足でやっていきたいとか、観光とか。市の人とも話すと熱い思いを持っ てる人もいるけど、方向がさまざまです。あばぁもこうやってるけど、いろんな人と共存はしたいけど、どうしていいのか分からない面もあります。お互いの距 離を縮めていければ、あばぁはそうしたことの媒介となりうる可能性を持っているので、じっくりせんといかんのだろうけど、スピードもあげていかないとも思 う。

Q:商店街のテナントが高いのは何故ですか?

遠藤:出水だと土地単価は水俣の60%かな。水俣は平地が少ないというのもある。空家をどう利用するのか大きな課題ですが、「環境で飯を喰う」とおもしろいことを言ってるけれど、言ったっきりになっている。それを話し合う場ができていない。

高倉:マチ中は敷居が高いんですよね。

松本:商店街もシャッターが閉まっている。賃貸料が入らなくても資産や年金で食っていけるから、下げてまでも貸したくない。

天野:「あんたが言うならしょんなかったい」と、そんな人が間に立つと話は違うんです。「お疲れです」みたいな 感じでつきあいたい。今の風景を打ち壊してまで高層ビル街にしたいわけでもないし、自然と生産と暮らしがうまく連動すればいいんですが。人のつながりを ガッツリやらないと大きなことはできない。

Q:全員が納得してできるような、マニフェストみたいな。それを作るのが難しい?

天野:水俣の中でも地域地域に行くと言葉も違うし、水俣はは昔から土地が薩摩にいったり、相良にいったりさらに水俣病事件が起きたり、いろいろと大変なところです。

Q:一人一人に話を聞いていくというのも、できるのは行政との関わりはどうですか?

松本:あばぁのメンバーにも行政の人はいるんですが、上をうごかせるだけの地位にはいないんですよね。

遠藤:マニフェストができないとわけじゃなくて、例えば水俣市の総合計画にはいいことが書いてあるんです。し かし、そこに汗を流して集中するのかというと、それはできていないんです。総論はいいが各論になると進まない。天野さんと「とらや」の話がありましたが、 一つの成功体験から新しい局面を作っていくことが必要かなと思っています。信用・信頼をどうやって作っていくのか。特にあばぁはその信用を蓄積中かな?

Q:市長は水俣の人?

天野:国語の先生でした。一緒に仕事できるかというとなかなか難しいところがあります。私たちが欲しいのは、きれいな言葉ではなくてきちんと行動を残してくれる人が必要です。

松本:この前の市議選挙を見てびっくりした。市議会選挙はドラマティックだった。都知事選でも50%とかでしょ。水俣は80%です。町議選じゃなくて市議会選だよ。逆にしがらみがスゴイんだな思いました。


■2011年度水俣病情報発信事業の一つの企画を終えて

水俣病センター相思社 遠藤邦夫

「あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会」の設定は、今年度の水俣病情報発信事業のプレゼンテーションで、審査委員から「埼玉大学の学生たちが毎年 水俣に来ているとのことだが、その時に水俣の人々との出会いが企画されると興味深いのではないか」という意見が出された。しかし6月末に審査結果が出され る予定だったが、環境省もしくは熊本県の事務処理が遅れ、7月半ばを過ぎるも何らの連絡がなかった。埼玉大学が8月末に来ることは決まっていたので、担当 の遠藤は熊本県に結果を問い合わせた。県の担当者からは「未だ結果をお知らせすることはできない」との返事だったが、遠藤はそのことに納得できず「どこの 仕事が滞っているのか教えてもらいたい。県ならばその責任者、環境省ならばその担当者を教えてもらいたい。私が直接電話する」と述べると、「少々お待ち下 さい。こちらから電話します」とのことだった。しばらくして「決定とは言えないが相思社への補助金は申請通りでますので、計画を実施してください」との返 事があった。6月末に来るはずの結果は、9月になっても来ておらず一体どういう始末になっていることやら。以上が当事業の置かれている状況である。ただこ れらのことは、相思社の8月25日と9月9日の事業内容に影響を与えたわけではないが、同事業の別の主体では、連絡遅れによって関係者が信頼を失うという 事態が発生している。

さて「あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会」は、結論的に述べれば大成功というほどの成果は確認されていないが、水俣での新しい出会いと課題発見の きっかけになったのではないかと考えている。実際の進行は、埼玉大学安藤聡彦さんから提案された。担当の遠藤は両者が出会う場所を設定し、実際に顔と顔を 合わせて意見を言い合えば、それで充分だろうと楽観的に考えていた。
しかし埼玉大学の学生たちにとってこの自主的な水俣フィールドワークは、特に大学の単位などに数えられるわけでもなく、交通費や水俣での宿泊費やその他費 用は全額自費負担で行われている。さらに安藤さんによれば「彼女(遠藤註:出水の水俣病患者)に学生たちが会いたがるのは、まさに彼女の『自己開示』力に よるというか、自分を、その内側にある煩悶や葛藤を外に出す力によっているのだと思います。あと、もうひとつは、<私>と<あなた>という関係で『つなが れる』という感覚。学生たちにしてみると、私を私としてみて彼女にとらえられ、語りかけられる、という営みを通して、水俣病という世界がぐっと近づき、そ こから人間の苦悩とか、社会とか、歴史とか、いろいろな風景が広がってくるわけです」という学生たちの真摯な態度からすると、遠藤の場と機会を用意すれば 何かが生まれるだろうという楽観的な姿勢は、あまりにも埼玉大学の学生たちの姿勢とかけ離れていた。
とはいえ8月25日の意見交換会に参加してくれた「あばぁこんね」の天野浩会長のお話と、高倉草児さん・松本仁美さんを交えての意見交換およびその後の懇 親会での懇談は、水俣にとって有意義であった。ただ意見交換会と銘打ちながら、実質的にはあばぁの天野さんによるあばぁの活動の紹介と、あばぁの目指すと ころを聞いてもらったに止まった。その後の小グループ討議でもお互いの自己紹介をでるものではなく、まとめの話し合いにおいても特に学生たちの受け止めや 疑問に応えられたとは言い難い。つまり意見交換会としては、なされた議論も不十分でその到達点も定かではなく、性格的にはあいまいなままだった。その責任 は楽観的な組み立てしかできなかった遠藤に全てあり、その点では埼玉大学の学生たちとあばぁメンバーには申し分けなく思っている。こうした企画について は、事前に安藤さんおよび埼玉大学の学生たちとの打ち合わせが必要だったが、そのために十分な努力が払われなかったことに尽きる。来年も同様の企画を行う ならば、情報発信事業の結果如何に関わらず実行できるような準備を整えて起きたい。

遠藤の言い訳を少ししておくと、一つは学生たちを熟知していないことに加えて、「あばぁこんね」グループの外部に対する志向を良く理解していないこ とがあり、いったいこの両者の出会いがどうなるのか予測できなかった。ただ両者とも水俣に対して真剣に取り組んできたという事実は知っており、その出会い から新しいモノ・新しい関係が生まれるのではないかと期待していた。「その程度の考えでこんな企画をしたのか」という安藤さんのため息が聞こえてくる。安 藤さんの遠藤の楽観への不安は正当なもので、「遠藤さんのことをぼくは大好きですし、敬愛しているのですが、この点は『楽観なんてできないよ』という気分 です」というメールをもらい、やっと当日の進行如何によっては、学生たちの水俣の受け止め方すら変わるかも知れないと思うようになったしだいだ。これは遠 藤の実践に対する態度が、「やってみなければ分からない」を金科玉条として、当然準備すべき手はずや段取りを極めて手抜きしていることを、図らずも表して しまった。少し反省している。更に8月25日の意見交換会の進行が、9月9日に予定されていた埼玉に於ける座談会にも影響を及ぼす可能性すらあったこと が、安藤さんから指摘されている。

1. あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会報告

■参加者

あばぁこんねメンバー:天野浩、高倉草児、松本仁美
埼玉大学安藤ゼミ:安藤聡彦、院生C(記録)、他学生22名
相思社:遠藤邦夫、永野三智、芳田弓生希

■スケジュール

14:00 ~ 天野浩さんの話
15:00 ~ 天野浩さん、高倉草児さん、松本仁美さんと3グループに分かれて
16:00 ~ 話したことの共有化と意見交換
18:00 ~ 懇親会

■天野浩さん(あばぁこんね代表)の話

天野:こんにちは。何日水俣はどうです?

学生:何度か来ているので懐かしい感じがします。

天野:外からの人からいろいろ聞いて発信したい。水俣のことだけをやっていても、自己満足になってしまうの で、外のまなざしを借りて水俣を調べて発信していきたい。きっかけはみなまた環境大学で、私は起業をするという分科会を担当しました。あばぁのメンバーで は、私はお茶農家ですが、観光農園をやっている福田さん、保育園園長の井上さん、もじょか堂という一次産品を扱っている沢井さん、ガイアみなまたで無農薬 農産物の販売や加工をしている高倉さん、久木野愛林館で森林保護をしていたけどその後水俣に住み着いた松本さん、みんなで集まって飲み会をしながらやりた いことを話した。水俣にこだわってやっている人がいることを改めて確認しました。月1回ミーティングをやってきて、この9月で2年になります。物販、新し い物作りにこだわっています。

遅くなりましたが、自己紹介です。天野浩と申します。エコなお茶作りかな。水俣東部の山中の石飛で、無農薬でお茶作りをしています。父が32年前に 無農薬のお茶栽培を始めました。水俣で出来たものを売ってきたんですが、水俣と言うだけで売れない時期がありました。水俣産のものというと水俣病と関連さ せて考えるので、買ってもらえない。でも作ったお茶は売らないと食っていけませんから、それで家のおやじは考えて市民を1件1件訪問してお茶を売り込んで いきました。相思社にも早い段階から行ったようです。15年前から紅茶を軸に仕事を組み立てようとしたのですが、こちらは紅茶のつもりだったのですが、最 初は「紅茶が緑茶みたいだ」とか「堆肥じゃないのか」などと酷いことを言われましたが、親父は試行錯誤を重ねて、「けっこうおいしい紅茶だね」と言っても らえるようになりました。紅茶といっても新しい切り口じゃないと注目してもらえないので、無農薬に特化したお茶作りを32年間やってきました。最初は3ヘ クタールでしたが、お茶の値段も下がってきて周りの人が辞め始めて今では6ヘクタール栽培しています。

市場には出さず自分たちで買ってくれる人を見つけてきました、いわゆる産直販売でしょうか。去年から大手の羊羹を扱っている和菓子屋さんで扱っても らっています。それで紅茶が足らないくらいになりました。水俣病の風評被害をうけてやってきたのですが「状況がどうでも生きていかないといかん」というよ うに、親父が前向きだったことがよかったです。ここでやっていくしかないと覚悟を決めていたんです。私は20才の時から親父と一緒にお茶作りをして、今年 で16年目です。36才になりました。モノづくりもおもしろいのですが、なにしろ水俣は僻地辺境の地です。なにしろ都会から遠いんです。人が入って来るに は遠いので、水俣のことは人伝えでないと見えてこないように思います。私たちは一生水俣に居続けます。「ここにいて良かった」と言えるように、水俣でない と楽しめないことを創らないと思っています。

あばぁこんねの会は2年前に立ち上げて、これまで物販とかをやってきました。水俣病の公式確認から50年以上たって、次の世代の人たちが活躍できる 時代になりました。今までだったら言いたいことも言えなかったけれど、50年たつとそれも変わってきました。段々と新しい人と人のつながりができはじめ た。それに伴って新しい村の形も考えられるようになりました。あばぁのメンバーも、メンバーの父・母の世代が会うとケンカになるかもしれませんが(笑 い)、子どもの世代だと以前の対立を引きずったような「考え方が違うから一緒には出来ない」とかはありません。ここのところは意識してやっています。考え 方・生き方の違いはあたりまえ、仲違いして疲れるよりも違いを利用して新しいモノをつくろう。あばぁのメンバーは、みかん農家、チッソの人、フリーター、 役所職員、お茶農家など、共通していることはみんな「水俣に暮らし続けたい」なんです。水俣に来れば、挫折した人も元気になるような地域にしていきたい。

あばぁマルシェとして物販もしていますが、そこでは自分で作ったものを自分で説明して売っていくんです。直接売ることで良い反応も悪い反応も受け止 めることができます。ひとりよがりでだめだったんだ、と反省もできます。ネットワークをひろげていこうと、今あばぁのメンバーは24人です。それぞれ仕事 を持っていて忙しいんですが、水俣にいる20-30代は全部で2000人ぐらいですから、あばぁの目指すのはこの2000人のネットワーク作りです。その 次には、物作りをしてる人はあばぁに参加しやすいんですが、会社の勤めの人たちもなにか活躍できる仕事を創っていきたいんです。今は、「海」というテーマ でクリアファイルを作成しています。水俣の海を撮り続けてきた尾崎たまきさんに写真を提供してもらいました。

あばぁは、水俣に来た人たちに水俣の魅力を発信していく。それが自分たちに返ってきて再確認できたりする作業も大事です。なんでもどんどんやってい こうと思っています。同級生とも話をしますが、「水俣は面白くない」「買い物行くところもない」「何もない」というのが大半です。ないものねだりをして愚 痴ばっかりでおもしろくなりません。自分で面白くすればいいんです。そうすれば忙しくなるし愚痴をいっている暇もなくなります。まずは味方をつくっている ところです。新しいモノがわき出てくるようなおもしろい地域にしたいんです。杉本栄子さんが言ってた「イオ湧く海」に水俣がなればと思っています。真水が 湧いている汽水の海は、小魚が育ったり傷ついた魚が傷をいやす場所なんです。「来たら元気になるところ」「新しい発見をするところ」に水俣をしていきた い。そういう考えも入れながら「さすが水俣だな」と言われるようにしたいんです。こんな話はいきなり始めても分かってもらえないから、まずは飲み会から始 めてお互いの信頼関係を作っています。「おまえが言うなら仕方ないな」という関係を目指しています。水俣病の経験を前面には出さないけれど、根っこには 持っておこうと思っています。お互いが引っ張ってきた人のネットワークで紹介しあって、知らなかった水俣を知ってもらいたい。これまでの水俣病の積み重ね の上に乗っかっているところもありますが、それは水俣で起きたことを、事実は事実と受け止めてやっていこうとしている。

遠藤:あばぁと天野さんの紹介をしてもらいました。この企画については、ゼミの安藤さんが心配していて「いった い何が起きるんだよ?」と言われましたが、私の説明はよく分からないようでした。先行きの不透明感には自分ながら心配です(笑い)。天野さんは「水俣には 何もなか」に対して、「そうじゃない見ようとすればあるものはいっぱいある」と言われました。私はどこにおもしろさを見つけ出すかが重要なんだと思いま す。「消費社会も楽しい」でもいいんだけど、そればかりでないいろんな嗜好があって良いかなとは思います。私たち親の世代はほんとにもやい直しがうまく出 来なかったけれど、親と子どもは違うと思います。親の世代から見ると、僕らができなかったことをあばぁの世代がやろうとしていることはとても嬉しいことで す。私は相思社に勤めていて水俣病を伝えることが仕事と思っています。でも、伝えられる人の方は「伝えられて良いことありますか?」。私たちは「大事なこ とだから伝えたい」「発信したい」「分かってね」と思っている。でも受け取る方は選択的でいいんです。人それぞれで良いと思うし、すべて受け止めると大変 なことになってしまいます。水俣病を伝えられて感動・悲しみもあるかもしれないけど、暮らしていくということはもっと大事です。

年配の人たちは「水俣をなんとかしないといけない」と思ってやってきた。でも考え方で対立して、ことを一緒にやることがうまくできなかったんです。 でも次の世代はそうならないようですね。違うネットワークや発信力があるんだろうなと思います。過剰な期待をしているのかもしれないけどね。今手元にある 相思社の機関誌「ごんずい」で、あばぁの座談会のつもりじゃなかったのですが、結果的にはそうなっています。それで昨年末には環境省の人があばぁのうわさ を聞きつけて、忘年会を一緒にしました。天野さんが先ほど話されましたが、飲み会から始めようと言うのはとてもいいなあと思っています。ネットワークとい うけれど、その実態はお互いに顔を合わせて一緒に飲んだり飯作ったりとかがないと、役立つネットワークにはなりませんよね。このあたりのスピード感が、私 たちとあばぁの違いかなとシャクだけど思います。

埼玉大学の人たちは今回、緒方正実さん、山下善寛さん、御所浦のトントコ漁、烏峠、中原八重子さんの話や体験を組み合わされています。埼玉大学とあ ばぁという異質なものの出会いは、相思社的には良いプログラムになるだろうと勝手に思っています。何が生まれるのかよく分からないけど、新しい出会い・ ネットワーク・情報交換等々、いろんなモノが生まれ「愛も生まれるかも・・・」(しばらくして失笑)。

天野:私たちはお金を稼ごうというのが軸じゃないんです。吉本哲郎さんの言われる三つの経済、貨幣の経済・自 給自足の経済・共同する経済。水俣に住んでいて貨幣は要ること要るけれど、自分で畑を作って米作ってというのは、年配の人たちが元気になる元です。若者は まだ気迫だけですけどね。3つのなかで、水俣でも貨幣経済が大きくなってしまっているけれど、自給自足の経済・共同の経済を再構築していきたいということ が根っこにあります。あばぁでやっている一個一個のプログラムは、関心持ってもらったらやるという方式です。企画してやっていくと先輩ともつながっていく んです。仕事面でも返ってくることがあるし、助けてもらえます。自分がどういう地域に住んでいるのかは大事だけれど、水俣だったら生活にもネットワークに も幅があります。マチでは貨幣経済がほとんどですが、水俣では貨幣が50%・共同25%・自給自足25%くらいの感じもあるし、貨幣経済が10%くらいに なればもっと面白くなると思っています。でもこの考え方は水俣だけではなく、全国どこででも応用は利くと思います。

遠藤:共同する経済で言えば、幸福感が大きな要素になっています。大根をもらう嬉しさってのは、ただでもらう という嬉しさもあるけど、経済という範疇で考えられない幸福感を感じるね。先ほど、天野さんは上品に東京の和菓子屋と言ったけど、「とらや」という一流の 和菓子屋なんだよね。それを知って何よりもうれしかったのは、とらやのホームページに「熊本県水俣市の山間部、石飛で生産された国産の無農薬紅茶『天の紅 茶』を使用しています」と書いてあるんです。私はそれが涙が出るほど嬉しかったんです。その昔、水俣のサラダ玉ねぎを紹介したテレビ番組では、生産地を 「熊本県神川」ってテロップが付いていたんですが、市民の方が「水俣市がないじゃん」とテレビ局にクレームをつけたことがありました。水俣の子どもたちが 修学旅行に行ったら、水俣から来たというだけで辛い目にあったこともありました。だからこのとらやのHPが嬉しいんです。すこしずつ認められることが広が ると、もっとおもしろいことが起きるかも知れません。みなさんもとらやの紅茶羊羹を食べてくださいね。

天野:分かり易いのは、海老蔵が使ってくれたんです。私も最初、正直とらやって聞いてよく分からなかったんで す。いきさつとしては、うちの紅茶を扱ってくれている紅茶専門店にとらやさんから、「紅茶羊羹を考えているから、国産紅茶のうち10種類くらいをピック アップして持ってきてくれ」ということだったんです。それで羊羹を作ってみたらうちの紅茶が一番羊羹に良くあっていたんです。お茶作りを32年間やってき たんですが「変人」とか「お金にもならんのに」とか言われ続けてきました。でも良い物をきっちりやっていると評価してくれるんだなと、改めて思いました。 水俣の人たちがほめてくれるし、地元の郵便局の人が「天野さんですか」って自分のことのように喜んでくれるんです。水俣でも勝負できるんです。それを直に 感じられるようになりました。ちょっとかっこよく言えば、ちゃんとしたところとちゃんとつながっていけば道はひらけるんです。あばぁのみんなで話している のは、こだわってあきらめない人がいれば何かの形になっていく。だからメンバーも芯を持って5年10年後かもしれないけれど、必ず本物が続々でてくること になる。そんなプレッシャーを常に持ちながらですけど、良いものを創ろうと思います。

遠藤:ますます、遊ぶ人の茂さんには紅茶作りは任せられないですね。

天野:任せられないですね(笑い)。

■3つのグループに分かれて意見交換

遠藤:この後は、60分くらい3グループに分かれて、あばぁメンバーと埼玉大学安藤ゼミメンバーで意見交換していこうと考えています。どうぞよろしく。

■話したことの共有化・意見交換会

グループ①(天野浩さん)学生Hさん発表

水俣に来る前と後で、水俣の色のイメージに違いがある。前:モノクロ、漆黒など暗い色。後は、青、緑、深く暖かみのある緑、青、明るくなったけど、どこか暗いとか。
あばぁの活動について。水俣カラー、水俣を色で表すと? 水俣バディ。細胞は何週間かでかわる。何週間か水俣にいれば、水俣一色になってかえりましょう。 食べ尽くしてみなまたのものに。水俣カラーを単色にしてほしくないという意見。単色の国旗はない。色には意味がある。みなまたは、海、山。意味を持たせて ほしい。一人でも多くの人が来て良かったと思ってくれるように、という企画。活動として、お金をかけないという考え。なぜか?お金があると考えなくなる。 利益、都会的になる。みんな誰かが何とかしてくれると考えてる、そこからやらないと。

グループ②(高倉草児さん)学生Aさん発表

高倉さんは地元を離れて関西の大学へ。東京・仙台などの会社を経て、今は生まれ育った水俣で両親が創ったガイアで働いている。地元愛、愛郷心という話が出 た。愛国心、国のレベルではなく。愛せる心が大切。地元に対して、おいしかったもの、良い場所、大事な場所、とか質問をなげかけていった。高倉さんはす ぱっと答えた。すぐにこたえられるのは愛郷心の現れ。自己紹介で時間が押してしまった。

グループ③(松本仁美さん)学生Cさん発表

自己紹介から始まった。水俣の魅力について、一言ずつ。人との関わり、自然が豊か、海がきれい、毎年行く毎に懐かしい思いがするなど。松本さんからは、住 むのと旅行とは違うという話。旅行で行くと魅力的でも、住むとなると仕事がないとか、どうやれば水俣で暮らせるかという話をした。森林保全をやりたいと 思っていて、愛林館の活動としての間伐材の利用の話をしてくれた。熊本市からきた。どんな人に水俣を知ってもらいたいか。水俣の人ではなく、いろんな人に 知ってほしいとのこと。自分と人は違うということ、違いがあるということは当たり前、それを認識することが必要。魅力の話で、なぜリピートしてしまうの か。海を見たい、歌を唱いたい、毎年夏にはもう水俣に行くのが当たり前だったなど。最後に休学する話が出た。休学している人が多いグループだった。意味が ある休学はいい。自分のやりたいことがあるんだったら、いいんじゃないかと。

■最後の意見交換会

遠藤:報告してもらった。それぞれ突っ込みたいことあるだろうし。そこも含めて。

高倉:高倉草児です。ガイア水俣というところで、みかんを売ったりマーマレードをつくって売っています。

松本仁美:熊本から来ました。大学の時に愛林館に来たのがきっかけ。夏は毎年通うようになった。森林組合に就職したが、愛林館で1年働いていました。森林保全、何かできないかと思っています。

高倉:渡辺京二さん知ってる人はいますか? 水俣に来られたら、是非読んでほしい。

遠藤:一次訴訟の支援をした熊本告発をつくった人といっていい。草児くんは渡辺さんの「義理と人情」が好きということですね。

Q:高倉さんと松本さんに質問。水俣で事件があってつらいことがあった中で、若い人はどう考えてきたのか? あばぁに参加するようになったきっかけは?

松本:私の入口は久木野の愛林館でした。水俣病や海と関わり始めたのはここ2年くらいかな。水俣=水俣病とい うイメージは薄かった。あばぁは活動に惹かれてというよりは、山手に住んでいて、町の人との接点がなかった。町の若い人たちとつながるということがきっか け。飲んでる内に、力になれることがあるのかな。わいわいやってるのが楽しそうなので参加した。

高倉:面白いことやってると聞いた。友だちが帰ってきたときに、「おもしろいことやってるね」と思ってもらえ るようにしたいんです。父は川本輝夫さんについて支援活動をしてた。水俣には多かれ少なかれしがらみがある。すべてのしがらみはぶっ壊したいと思った。あ ばぁだと壊せるかなと思った。

Q:ぶち壊すことは?

高倉:まだまったくわからない(笑)。一生をかけて探っていこうかな。

天野:起きたことは良かったとか悪かったとか思っても、過去には帰られない。水俣の未来は私たちが創っていく しかない。水俣のかたちをどう創るかということにある。高倉くんのところみたいに市民権を得てないような団体(笑い)もいまだあるし、水俣の中でも関係が ずたずたなんです。私は山の人間です。水俣のことに客観的に対処できるポジションにいたのが大きい部分もある。それを上手に使ってこれからのありかたを考 えてみたい。ただ年上だからあばぁの会長なだけですけど。あたらしいことを水俣で起こしている人が増えています。今日もせっかくつながったので、後方支援 してもらって、埼玉大学の人たちから「水俣はどうなってるの?」って、いじってください。水俣に来たいという人がいればいんですが、課題もあるけどね。

松本:住むところが問題なんです。水俣は空家は多いけれど貸す人はいないんです。

遠藤:相思社に泊まっているとマチで言うと、田舎の場合は「わらじを脱いだ」ところで関係が決まるようなところがあって、人はそういう風に思うよと言うことがあります。

安藤:このゼミにはリピーターが多い。水俣に魅力があると思っているんだと思います。いろいろあると思うけ ど、単発的にくるのと生活の視点は違でしょう。外から来た人にはしがらみなんて全く見えません。あばぁの人たちは何が水俣にあって、何が不足してると思っ ているのか、そこらへんを教えてもらいたい。
高倉:とりあえず「情け」を重視しているんですが、水俣で喰いっぱぐれることはないと思う。実際に餓死するかしないかという意味ですけど。でもそのことの発信力がない。

遠藤:僕は水俣には発信力はあると思っている。三里塚の相川さんという人と知り合いになったんだけど、70年頃 は三里塚の方が光り輝いて見えていました。40年たってみると、水俣はこんなところというあるモノを蓄積してきた発信力が、少なくとも三里塚より水俣の方 があると思います。僕も最初水俣に来たときは、水俣病患者に会いに行くもんかと思っていました。水俣に来て水俣病のことをするのは当たり前すぎて、何かな るべくふれあいたくないと思っていました。一概に支援者なんて言われていますが、個々人に聞くと中身は多様です。いろんな関わり方や入口があって良いと思 うようになりました。

松本:いや私は水俣の発信力は弱いと思っています。例えば熊本県の観光ガイドブックを開いたときに、阿蘇、天草 はたくさんのページがあるけど水俣はちょっとしかない。今は人吉の方が元気なくらいです。条件的に近い人吉との違いって何でしょうか? モノは負けてなく て、やっぱり発信力違いかなと思います。

遠藤:確かにそれは僕らの力ではできなかった。水俣病をうまい具合に調整しつつ、明るく発信するのは難しいん です。僕らが作ると、どうしても水俣病が多くなってしまうんだよな。ぱっと見たときに行ってみようと思うようなガイドブックを是非、あばぁの人たちに作っ てもらいたい。人吉にしたって、萩にしたって、観光だけではない文化や食べ物や自然をちゃんとかいたガイドブックがある。

高倉:旅行に行きたい時何を見る? ご飯、温泉、ほっとできるような場所とかだよね。

天野:どういう風に生きていくのか。自給自足でやっていきたいとか、観光とか。市の人とも話すと熱い思いを持っ てる人もいるけど、方向がさまざまです。あばぁもこうやってるけど、いろんな人と共存はしたいけど、どうしていいのか分からない面もあります。お互いの距 離を縮めていければ、あばぁはそうしたことの媒介となりうる可能性を持っているので、じっくりせんといかんのだろうけど、スピードもあげていかないとも思 う。

Q:商店街のテナントが高いのは何故ですか?

遠藤:出水だと土地単価は水俣の60%かな。水俣は平地が少ないというのもある。空家をどう利用するのか大きな課題ですが、「環境で飯を喰う」とおもしろいことを言ってるけれど、言ったっきりになっている。それを話し合う場ができていない。

高倉:マチ中は敷居が高いんですよね。

松本:商店街もシャッターが閉まっている。賃貸料が入らなくても資産や年金で食っていけるから、下げてまでも貸したくない。

天野:「あんたが言うならしょんなかったい」と、そんな人が間に立つと話は違うんです。「お疲れです」みたいな 感じでつきあいたい。今の風景を打ち壊してまで高層ビル街にしたいわけでもないし、自然と生産と暮らしがうまく連動すればいいんですが。人のつながりを ガッツリやらないと大きなことはできない。

Q:全員が納得してできるような、マニフェストみたいな。それを作るのが難しい?

天野:水俣の中でも地域地域に行くと言葉も違うし、水俣はは昔から土地が薩摩にいったり、相良にいったりさらに水俣病事件が起きたり、いろいろと大変なところです。

Q:一人一人に話を聞いていくというのも、できるのは行政との関わりはどうですか?

松本:あばぁのメンバーにも行政の人はいるんですが、上をうごかせるだけの地位にはいないんですよね。

遠藤:マニフェストができないとわけじゃなくて、例えば水俣市の総合計画にはいいことが書いてあるんです。し かし、そこに汗を流して集中するのかというと、それはできていないんです。総論はいいが各論になると進まない。天野さんと「とらや」の話がありましたが、 一つの成功体験から新しい局面を作っていくことが必要かなと思っています。信用・信頼をどうやって作っていくのか。特にあばぁはその信用を蓄積中かな?

Q:市長は水俣の人?

天野:国語の先生でした。一緒に仕事できるかというとなかなか難しいところがあります。私たちが欲しいのは、きれいな言葉ではなくてきちんと行動を残してくれる人が必要です。

松本:この前の市議選挙を見てびっくりした。市議会選挙はドラマティックだった。都知事選でも50%とかでしょ。水俣は80%です。町議選じゃなくて市議会選だよ。逆にしがらみがスゴイんだな思いました。


■2011年度水俣病情報発信事業の一つの企画を終えて

水俣病センター相思社 遠藤邦夫

「あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会」の設定は、今年度の水俣病情報発信事業のプレゼンテーションで、審査委員から「埼玉大学の学生たちが毎年 水俣に来ているとのことだが、その時に水俣の人々との出会いが企画されると興味深いのではないか」という意見が出された。しかし6月末に審査結果が出され る予定だったが、環境省もしくは熊本県の事務処理が遅れ、7月半ばを過ぎるも何らの連絡がなかった。埼玉大学が8月末に来ることは決まっていたので、担当 の遠藤は熊本県に結果を問い合わせた。県の担当者からは「未だ結果をお知らせすることはできない」との返事だったが、遠藤はそのことに納得できず「どこの 仕事が滞っているのか教えてもらいたい。県ならばその責任者、環境省ならばその担当者を教えてもらいたい。私が直接電話する」と述べると、「少々お待ち下 さい。こちらから電話します」とのことだった。しばらくして「決定とは言えないが相思社への補助金は申請通りでますので、計画を実施してください」との返 事があった。6月末に来るはずの結果は、9月になっても来ておらず一体どういう始末になっていることやら。以上が当事業の置かれている状況である。ただこ れらのことは、相思社の8月25日と9月9日の事業内容に影響を与えたわけではないが、同事業の別の主体では、連絡遅れによって関係者が信頼を失うという 事態が発生している。

さて「あばぁこんね・埼玉大学 意見交換会」は、結論的に述べれば大成功というほどの成果は確認されていないが、水俣での新しい出会いと課題発見の きっかけになったのではないかと考えている。実際の進行は、埼玉大学安藤聡彦さんから提案された。担当の遠藤は両者が出会う場所を設定し、実際に顔と顔を 合わせて意見を言い合えば、それで充分だろうと楽観的に考えていた。
しかし埼玉大学の学生たちにとってこの自主的な水俣フィールドワークは、特に大学の単位などに数えられるわけでもなく、交通費や水俣での宿泊費やその他費 用は全額自費負担で行われている。さらに安藤さんによれば「彼女(遠藤註:出水の水俣病患者)に学生たちが会いたがるのは、まさに彼女の『自己開示』力に よるというか、自分を、その内側にある煩悶や葛藤を外に出す力によっているのだと思います。あと、もうひとつは、<私>と<あなた>という関係で『つなが れる』という感覚。学生たちにしてみると、私を私としてみて彼女にとらえられ、語りかけられる、という営みを通して、水俣病という世界がぐっと近づき、そ こから人間の苦悩とか、社会とか、歴史とか、いろいろな風景が広がってくるわけです」という学生たちの真摯な態度からすると、遠藤の場と機会を用意すれば 何かが生まれるだろうという楽観的な姿勢は、あまりにも埼玉大学の学生たちの姿勢とかけ離れていた。
とはいえ8月25日の意見交換会に参加してくれた「あばぁこんね」の天野浩会長のお話と、高倉草児さん・松本仁美さんを交えての意見交換およびその後の懇 親会での懇談は、水俣にとって有意義であった。ただ意見交換会と銘打ちながら、実質的にはあばぁの天野さんによるあばぁの活動の紹介と、あばぁの目指すと ころを聞いてもらったに止まった。その後の小グループ討議でもお互いの自己紹介をでるものではなく、まとめの話し合いにおいても特に学生たちの受け止めや 疑問に応えられたとは言い難い。つまり意見交換会としては、なされた議論も不十分でその到達点も定かではなく、性格的にはあいまいなままだった。その責任 は楽観的な組み立てしかできなかった遠藤に全てあり、その点では埼玉大学の学生たちとあばぁメンバーには申し分けなく思っている。こうした企画について は、事前に安藤さんおよび埼玉大学の学生たちとの打ち合わせが必要だったが、そのために十分な努力が払われなかったことに尽きる。来年も同様の企画を行う ならば、情報発信事業の結果如何に関わらず実行できるような準備を整えて起きたい。

遠藤の言い訳を少ししておくと、一つは学生たちを熟知していないことに加えて、「あばぁこんね」グループの外部に対する志向を良く理解していないこ とがあり、いったいこの両者の出会いがどうなるのか予測できなかった。ただ両者とも水俣に対して真剣に取り組んできたという事実は知っており、その出会い から新しいモノ・新しい関係が生まれるのではないかと期待していた。「その程度の考えでこんな企画をしたのか」という安藤さんのため息が聞こえてくる。安 藤さんの遠藤の楽観への不安は正当なもので、「遠藤さんのことをぼくは大好きですし、敬愛しているのですが、この点は『楽観なんてできないよ』という気分 です」というメールをもらい、やっと当日の進行如何によっては、学生たちの水俣の受け止め方すら変わるかも知れないと思うようになったしだいだ。これは遠 藤の実践に対する態度が、「やってみなければ分からない」を金科玉条として、当然準備すべき手はずや段取りを極めて手抜きしていることを、図らずも表して しまった。少し反省している。更に8月25日の意見交換会の進行が、9月9日に予定されていた埼玉に於ける座談会にも影響を及ぼす可能性すらあったこと が、安藤さんから指摘されている。

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