熊日出版文化賞にノミネートされた「みな、やっとの思いで坂をのぼる」が落選した翌朝、患者のAさんから電話がかかりました。「今朝の新聞を見て、あれっと思ったんです。発表があってるから、どこにのっとるかな?と思って上から下まで、何回でも見たっですよ。でも、なかじゃなかですか。それなりの審査の結果だと思いますけれどもね」「本ね、芯から見て。俺の気持ちだなぁって。俺の中ではこれは間違いないと思っとったんですけれども、まぁ、専門家さんから見たら、そういうわけにはいかんやったんでしょうな」と言います。「専門家に選ばれるよりも、Aさんに思ってもらうことが私は嬉しいです」と言ったらAさんは、「俺なんか、なんね、俺なんか」と言って、「ま、いっちょ、これからも頑張ってくださいよ」と電話を終えました。
「みな、やっとの思いで坂をのぼる」が出る時に、出版社が帯のコメントを頼んだ方たちにはみんな断られました。私に名前がないから?水俣病は難しいから?と考えましたが、でも、患者さんや私の経験は、私が大切に思っていることは、誰かに評価されるようなことじゃない、手から手へ、地面に蔦がはるように、大切なことは静かに広がっていくのだと思いました。
そしていま私にとって大切なのは、私が信頼しているAさんが、私の書いたものをどう思ったか。
私の信頼するAさんは、夜の8時に寝ます。夜中の1時に起きて、妻とふたり、巻きずしや惣菜を作ります。早朝に農協に出荷して、畑に出て野菜の手入れをし、家に帰って少し昼寝をして、地域のために働いて、夜の8時になったらまた寝ます。彼らは地域で結婚をし、畑をしながら子どもを育て、海からやってくる行商の魚を食べ、一家で水俣病になりました。
私が相思社のスタッフになった頃には漬物を持ってきては昔の話を語って聞かせ、仕事はつらくないかと尋ね、つらいと言えば「いまが伸びているときだから、つらいんだ」と励まし、患者団体の事務局を兼ねるようになってからは手伝いを申し出て、陣中見舞いを持参してくれます。漬物は噛めば噛むほど味が出て、巻きずしの甘さは疲れを癒やしてくれるような気がします。夜更けに立ちっぱなしの二人の体は腰のところできれいに曲がり、両足は赤黒くいたんでいて、それでも働きづめながらなお私を思ってくれる二人の存在を尊く思います。
Aさんは困っている人に会うと、車に乗せて相思社まで連れてきて、困った人と並び、私とは対面し、ひとしきり話を聞き、終わりかけには私の目をじっと見つめて、「いっちょ、よろしく頼みますよ」と、ひとこと言う。人生のいろいろをよく知っている人が、こうして近くにいる。そして、この本に対するAさんの気持ちを知れたことに、密かに喜びを感じています。
「みな、やっとの思いで坂をのぼる」を読んで語りたいと思うようになりましたと言って相思社を訪れたり、お手紙をくれたりする水俣出身の人たちに、私は一人ではないという勇気を持たされ、重い扉を開き積年の思いをよくぞ言葉になさったと、彼らに尊敬の念を懐きます。
先輩や友だちや同僚やから薦められ、読んですぐに電話やメールをくれたり、弾かれるようにして水俣に飛び込んできたりする若い人たちの熱量を、嬉しく感じています。おかげで忙しくてたまらないけど、そういうの、好きです。
ということで、相思社のHPから注文できる「みな、やっとの思いで坂をのぼる」。まだの方、読んでみませんか?
http://www.soshisha.org/jp/archives/7337
水俣病センター相思社で患者相談などを担当する水俣市生まれの著者が、生まれ故郷でいまもタブーとされる水俣病事件の当事者やその家族たちとの交感を綴る。
不知火海を見下ろす丘の上に水俣病センター相思社はある。2004年の水俣病関西訴訟の勝訴にともない、「自分も水俣病ではないか」との不安を抱える数千の人たちが、いまも患者相談に訪れる。
著者は、相思社での患者相談などを担当する日常のなかで、水俣病事件の当事者たちと接するようになり、機関紙で「水俣病のいま」を伝えるための連載「患者相談雑感」を開始した。
本書は、本連載と日記をもとに大幅に加筆して一冊にまとめた記録だ。