勝手にスタンプラリー(4)

チッソが創業以来、戦争直後まで造った発電所はたくさんありますが、現在でも九州内で13箇所が稼働しています。
それらを訪ねてまわる「勝手にスタンプラリー」。ずいぶん間が空いてしまいましたが第4回目です。

今回は、内谷第二発電所。

運転開始:1950年
出力:8,300kw
所在地:熊本県八代市坂本町西部は303

「坂本」という住所からお察しいただける方もおられるかと思いますが、ここは2020年7月4日の豪雨により球磨川が氾濫し大変な被害をもたらされました。
実は昨年の秋、私は既にここを訪れていました。洪水のとき、立地から想像して被害は免れていないと思っていました。じっさい、直ぐ近くにあった旧日本製紙深水発電所の遺構は水に流され、建物は跡形もなく消えてしまったのをニュース映像で見ていたからです。そのすぐ近くの深水橋も流されたと聞いていました。

八代の国道3号線から球磨川沿いに158号線を走ること10分。
なんと、内谷第二発電所は無事でした。通常の川面から20m以上のところに建造されていたからでしょうか。しかし、ぎりぎりだったと思います。

内谷第二発電所は、第一発電所とともに戦後に造られました。
戦後、水俣工場しか残らなかったチッソは、朝鮮チッソから戻ってきたエリート組によって席巻されてしまします。彼らは、会社が急速に復興していく勢いに乗り、朝鮮での興隆をふたたび水俣で夢見ようとします。電気化学工業に賭けようと、そのころ(昭和25年)球磨川流域に建造した水力発電所が内谷第一・第二発電所でした。
戦後の急激なインフレーションによって彼らの夢はそのまま叶いませんでしたが、その後、国内組(橋本彦七ら)が開発したプラスチック産業(アセトアルデヒド製造)によって、チッソは起死回生を果たします。しかしそれが水俣病を生み出すことになります。

▼ 球磨川とJR肥薩線に挟まれたところに発電所はあります。2020年12月5日撮影

チッソ内谷第二発電所|水俣病センター相思社

▼ 導水管は1本。かなりの高低差があります。2020年12月5日撮影

チッソ内谷第二発電所|水俣病センター相思社

▼排水口。タービンを回した水はふたたび球磨川に戻ります。2020年12月5日撮影

チッソ内谷第二発電所|水俣病センター相思社

▼洪水のとき、礎石のコンクリートのところで水位が止まったのでしょうか。建物まで来ていたら崩壊は免れなかったでしょう。2020年12月5日撮影

チッソ内谷第二発電所|水俣病センター相思社

二度目の、ここへの訪問は、たいへん心が痛むものでした。深水橋は流され、深水発電所遺構は基礎を残して跡形もなく流されていました。2020年12月5日撮影

深水橋|水俣病センター相思社深水発電所|水俣病センター相思社

▼鏡面のような川面に映る、森に包まれた深水発電所。19年9月。産業遺産としての価値もありました。2019年9月14日撮影

深水発電所|水俣病センター相思社

深水橋。向こうに深水発電所が見えていました。2019年9月14日撮影

深水橋|水俣病センター相思社

橋は、流されていました。下流には残骸が無残にも散らばっていました。2020年12月5日撮影

流された深水橋|水俣病センター相思社流された深水橋|水俣病センター相思社

JNCホームページより)

カテゴリー: スタッフのひとこと タグ: , パーマリンク

コメントは停止中です。