「のさったなぁ」
海・山・川・里の恵みが思いがけず手に入ったとき、地元の人はこう言います。
のさりという言葉には、思いがけず何かをもらう、天からの授かりもの、恵み、といった意味があります。
水俣の恵みをみなさんにも感じていただきたい、この土地でものづくりをする人たちを、その風土と暮らしを応援したい、との想いから、相思社では水俣の風土で心を込めて丁寧につくられた農産物や加工品などを取り扱っています。
水俣の柑橘類・サラダ玉ねぎ
水俣産を中心として、水俣病の被害地域で生産された柑橘類とサラダ玉ねぎを取り扱っています。
水俣病による健康被害と海の汚染により生業ができなくなった漁師たちが陸に上がり、柑橘類の生産を始めたことから、相思社での柑橘取扱いは始まりました。
当初は患者支援の意味合いが濃かった柑橘販売ですが、現在では患者支援に限らず、水俣病被害地域でこだわりを持ってつくられた産物を広く紹介することで、地域づくりに繋げていきたいという想いから販売を続けています。
化学物質が引き起こした水俣病の経験から、化学合成された農薬や肥料を可能な限り減らして栽培しています。
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水俣のお茶
水俣の天の製茶園さんと桜野園さん、人吉相良村の宮崎さんの無農薬で販売されたお茶を販売しています。水俣では、公害の影響で「水俣産」のお茶が売れない時期が長く続きました。他の地域では流行りに乗って新しいお茶の木が植えられる中、水俣では在来種のお茶が残りました。天野さんのお茶畑はほとんどが、遺伝子が違う個性豊かな在来種。桜野園のお茶は、四代目の松本和也さんがお茶づくりを継いだ30年ほど前から、農薬も化学肥料も使わない自然農法でお茶作りをしています。
相良村の宮崎さんのお茶は、相思社だけに卸していただいています。宮崎さんが農業を始めたのは65年前、無農薬のお茶づくりは47年前。農作業中、突然のどを絞られるようなひどい吐き気に襲われて、同級生で医師の緒方俊一郎さんから「農薬中毒」と診断されたのがきっかけでした。緒方医師のすすめで無農薬茶の栽培を始めた研究者肌の宮崎さんは、「無農薬でも味にこだわりたい」と、自分なりの堆肥の材料、一番搾りの菜種かすと米ぬかの堆肥を一畝毎に様子を見ながらあげていきます。コクと甘味ととろみと、独特の重さがあるお茶の、一番美味しいところを相思社に卸してくださいます。
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長野県佐久穂町のりんご
水俣との出会いがきっかけとなり、長野県佐久穂町で低農薬栽培のりんごを作り続けている須田さん一家のりんごを取り扱っています。
1978年、東京で相思社職員の講演を聞き、水俣病事件を知った須田保さん・ゆり子さんは、自分たちの仕事を足元から見つめ直そうと無農薬でりんごを作る挑戦を仲間たちと共に始めました。最初の年は、虫の異常発生などによってほぼ全滅でした。完全無農薬には挫折したものの、試行錯誤の末、土づくりを変え、農薬を最低限にした栽培方法を確立しました。
それから30年、生産者の子どもたちは大人になり、工夫と勉強を重ねて低農薬りんごのネットワークを引き継いでいます。わたしたちも水俣病をきっかけに始まった長野と水俣のつながりを大事にしながら、りんごの販売を続けています。
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