※水俣病を告発する会機関紙「告発」1号(創刊号)~24号は、縮刷版「告発」に掲載されています。
※水俣病を告発する会機関紙「告発」25号~49号(終刊号)は、縮刷版「告発」続編に掲載されています。
※水俣病を告発する会機関紙「水俣」1号(機関紙「告発」からの通巻50号)~137号(通巻186号)は縮刷版「水俣」に掲載されています。
※138号(通巻187号)~217号(通巻266号)(=最新号)をセット販売します。
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号 | 通巻 | 発行日 | おもな内容 | 縮刷版に掲載 | BNセット | BN有 |
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1 | 1969/6/25 | チッソに宣戦布告/県民会議発足/患者家族紹介1/水俣病と認定基準/水俣病十六年/のしかかる会社の影/裁判するは誰のせい/復讐法の倫理 | ★ | |||
2 | 1969/7/25 | 水俣に響く連帯の声/訴訟費用を補助せよ/認定基準/深き渕より叫ぶ1/水俣病輪郭と問題点1/義勇兵の決意 | ★ | |||
3 | 1969/8/25 | 患者ついに座り込む/患者家族紹介2/公判闘争あと50日/杉本さんの死を悼む/水俣病輪郭と問題点2/深き渕より叫ぶ2/チッソ研究員との対話 | ★ | |||
4 | 1969/9/25 | 公害認定がもたらしたもの/患者家族紹介3/水俣市民会議総会/水俣病一年の動き/確約書問題/水俣市民会議の人々/深き渕より叫ぶ3/水俣病輪郭と問題点3 | ★ | |||
5 | 1969/10/25 | 第一回口頭弁論開く/患者家族紹介4/熊本市街ゆるがす告発の声/チッソ答弁書を提出/水俣病輪郭と問題点4/水俣病裁判の開始にあたって/深き渕より叫ぶ | ★ | |||
6 | 1969/11/25 | 水俣病裁判傍聴記/田中敏昌君逝く/患者家族紹介5/補償処理委の現地調査/世界を揺るがす水俣病/深き渕より叫ぶ/水俣病輪郭と問題点5 | ★ | |||
7 | 1959/12/25 | 三池追悼集会に参加/患者家族紹介6/有機水銀の遺伝的影響の可能性/資料水俣病患者名簿/水俣病輪郭と問題点6/水俣病における企業責任 | ★ | |||
8 | 1970/1/25 | 第二回口頭弁論/患者家族紹介7/新審査会が発足/市民会議この一年/水俣診療の思い出/深き渕より叫ぶ5/水俣病輪郭と問題点7/わが苦しみの日々 | ★ | |||
9 | 1970/2/25 | 三池-水俣を結ぶ苦しみ/患者家族紹介8/未認定患者の死/深き渕より叫ぶ6/看板だけの被害者救済法/水俣病輪郭と問題点 最終回/水俣病と筑豊病 | ★ | |||
10 | 1970/3/25 | うらみの昭和34年/患者家族紹介9/公判傍聴記/深き渕より叫ぶ7/上村智子の入院日記/水俣病裁判の争点1/闘いの質を問え/ヤコブの闇 | ★ | |||
11 | 1970/4/25 | 人間破壊の悲惨な全貌/患者家族紹介10/深き渕より叫ぶ8/市民会議の群像1/水俣病裁判の争点2/現地日記1/水俣への旅 | ★ | |||
12 | 1970/5/25 | 処理委回答阻止/チッソ工場正門突破/補償処理抗議行動/水俣病裁判の争点3/互助会、市民レクリに参加して/現地日記2 | ★ | |||
号外 | 1970/6/14 | 水俣病裁判支援ニュース「告発」号外:補償提示会場を占拠/厚生省をとりまくデモ隊/水俣病補償あっせん案/補償処理の欺瞞性/チッソ本社座り込み/第四回口頭弁論 | ★ | |||
13 | 1970/6/25 | 闘いは地獄の底まで/患者家族紹介11/提訴一周年記念行動/もうひとつのこの世へ/水俣病裁判の争点4/深き渕より叫ぶ9/一任派総会を傍聴して | ★ | |||
14 | 1970/7/25 | 東京告発する会結成/水俣病裁判の争点5/巡礼団熊本入り/水俣巡礼の旅/深き渕より叫ぶ10/起ちなはれ | ★ | |||
15 | 1970/8/25 | 闘いの原点水俣へ/患者家族紹介12/深き渕より叫ぶ11/株主総会へ運動盛り上げ/水俣病裁判の争点6/巡礼の旅/東京水俣病を告発する会/水俣訪問の心得 | ★ | |||
付録 | 1970/8/25 | 水俣病裁判支援ニュース「告発」第15号付録 :見舞金契約の法的効力について | ★ | |||
16 | 1970/9/25 | 補償処理その後/患者家族紹介13/関西に盛り上がる運動/映画「告発’70水俣」ロケ日記/水俣病裁判の争点/深き渕より叫ぶ12/茂道にて | ★ | |||
17 | 1970/10/25 | 患者、総会出席を決意/患者家族紹介14/公害認定二周年/細川博士死去/一株運動/水俣病裁判の争点8/口頭弁論/深き渕より叫ぶ13 | ★ | |||
18 | 1970/11/25 | 一株闘争/患者家族紹介15/大阪へ結集せよ/患者家族座談会/未認定患者追跡1/深き渕より叫ぶ14/わが、じゃがたら文より | ★ | |||
19 | 1970/12/25 | チッソ株主総会/株主総会グラフ特集/第七回口頭弁論/未認定患者追跡2/深き渕より叫ぶ15/弥勒たちのねむり | ★ | |||
20 | 1971/1/15 | 首切り迫る水俣工場/患者家族紹介36/第八回口頭弁論/裁判官、現地と患者を検証/告発’70水俣/未認定患者追跡3/深き渕より叫ぶ16 | ★ | |||
21 | 1971/2/15 | 西田元工場長を証人尋問/患者家族紹介37/第九回口頭弁論/新潟水俣病の現況/映画水俣完成/わが苦海巡礼 | ★ | |||
22 | 1971/3/15 | 第12回口頭弁論/患者家族紹介18/西田証人の退廷/疑わしきは認めよ/未認定患者追跡4/優しさと怨念と/映画水俣 | ★ | |||
23 | 1971/4/15 | 第13、14口頭弁論/患者家族紹介/でっち上げた爆薬説/未認定この二重の差別/労働コロニーの建設を/不全型水俣病の解明/優しさと怨念と | ★ | |||
24 | 1971/5/25 | 13人の新認定、その意味と今後の問題点/患者家族紹介20/水俣病裁判/13人のプロフィール/大きい自主交渉の意義/深い経済的不安/優しさと怨念と | ★ | |||
25 | 1971/6/25 | 五月株主総会の患者たち/患者家族紹介21/第一回自主交渉/救済法無視の審査会/侍の家に暮らして/怨念の村を訪ねて/映画水俣と患者の実像 | ☆ | |||
26 | 1971/7/25 | おるい大母さんの復活/御所浦レポート/政治責任の徹底追及を/座談会 潜在患者を訪ねて/口頭弁論/うして水俣病1/暴力総会の責任をとれ/東平放言録 | ☆ | |||
27 | 1971/8/25 | 環境庁裁決/自主交渉から提訴まで/御所浦検診報告記/71水俣の夏/うして水俣病2/おるい大母さんの復活 | ☆ | |||
28 | 1971/9/25 | 東京裁判、吉岡追及に結集/患者家族紹介22/崩壊する権威の壁/熊大住民検診/未認定患者家族の手記/第21、22回口頭弁論/ 映画水俣 | ☆ | |||
29 | 1971/10/25 | 新認定をめぐる問題を考える/噴出する審査会への怒り/一株幻想を打ち破れ/新潟判決をこう評価する/うして水俣病3/まぼろしの鮭に | ☆ | |||
30 | 1971/11/25 | 憤怒こめて我々は座り込む/激励集会/公開質問状/西田被告の反対尋問/水俣に渦巻くビラ合戦/うして水俣病4/実録自主交渉 | ☆ | |||
31 | 1971/12/25 | 患者、決死の直接交渉/血書片手に迫る患者/直接交渉の意味/土谷総務部長のメモ/東京行動に参加して/直接交渉実録 | ☆ | |||
32 | 1972/1/25 | 自主交渉闘争の経過と今後の方向性/暴力で患者放り出す/150名本社へ再突入/五井工場暴行事件のてん末/座談会 東京闘争の戦列から/幻の船のために | ☆ | |||
33 | 1972/2/25 | 自主交渉貫徹の決意/チッソ中公審取り下げ/過激派患者となって/熊本で東京行動支援集会/水俣病裁判/過失立証ヤマを越す | ☆ | |||
34 | 1972/3/25 | 新局面迎えた自主交渉闘争/大石長官水俣を訪問/座り込みテントの一日/過失論/患者家族紹介23/新労のデマ宣伝 | ☆ | |||
35 | 1972/4/25 | 新潟の壁を越えて/座り込み半年/患者切り崩し/放置していたのは誰か/うして水俣病5/患者家族紹介24/自主交渉家族を訪ねて | ☆ | |||
36 | 1972/5/25 | 一家全滅の声を聞け/患者一律1800万/告発事務所にスパイ潜入/映画死民の道を撮影して/審査会やっとスタート/第39、40回口頭弁論/患者家族紹介2 | ☆ | |||
37 | 1972/6/25 | しのぶさんらストックホルムへ/水俣病センター設立アピール/ストックホルムからの報告/水俣病センターの任務/問題多い一斉検診/新認定患者とは何か | ☆ | |||
38 | 1972/7/25 | 寺本県政の罪状暴露/患者家族紹介27/水俣湾調査結果/センター、患者はこう望む/世界に訴えた水俣/第43、44回口頭弁論/環境庁裁決の意味するもの | ☆ | |||
39 | 1972/8/25 | 患者の主張尋問に同席して/患者家族紹介28/現地本人尋問/自主交渉/調整委への公開質問状/動き出したセンター構想/詐欺同然の見舞金契約 | ☆ | |||
40 | 1972/9/25 | ランク付けを葬れ/患者家族紹介29/水俣病裁判の結審にあたって/チッソ、警察の暴挙/不知火海汚染/新潟水俣病の自主交渉闘争/口頭弁論 | ☆ | |||
号外 | 1972/10/15 | 水俣病センターをつくるために/夢の中から/なぜ水俣病センターを作るのか/どんな活動をするか/建設資金、維持運営費概算/設立委員、賛同者 | ☆ | |||
41 | 1972/10/25 | 結審/裁判をふりかえって/遺影を胸に本人陳述/第7回自主交渉/天草の患者やっと認定/水俣病センター私感 | ☆ | |||
42 | 1972/11/25 | 警察、川本さんを取り調べ/川本さん談話/水俣の自宅捜索/自主交渉闘争一周年/広がるセンター運動/訴訟派患者の東京行動に同行して | ☆ | |||
43 | 1972/12/25 | 自主交渉の戦線拡大/患者家族紹介30/自主交渉一周年東京集会/水俣病センター/水俣病に対するチッソの対応/曲がり角に立つ自主交渉闘争 | ☆ | |||
44 | 1973/1/25 | 調停阻止に全力を/川本輝夫さんに聞く/調停案を事前にほうむれ/センター設立委員会を開く/地検、川本さんを提訴 | ☆ | |||
45 | 1973/2/25 | 患者ないがしろの公調委/ニセ文書の真相/判決を前に患者家族の声/患者家族紹介31/ズサンな一斉検診/センター建設いよいよ実働 | ☆ | |||
46 | 1973/3/25 | 本社のりこみ闘争始まる/ドキュメント・東京直接交渉/東京交渉資料/判決後患者語る/杉本栄子さんの話/判決を聞いて/原告別請求認容額一覧表 | ☆ | |||
47 | 1973/5/25 | 直接交渉/生活保障へ突破口/支援の現場より報告/公調委調停案/二家族の分離裁判始まる/塩田武史写真報告/水俣病センター/隠された水俣病患者に会って | ☆ | |||
48 | 1973/7/25 | 本社を七十日間占拠/声明書/調印式を終えて/償わせるのは患者自身/東京、水俣でテント撤去/二家族の分離裁判/故尾上時義さんの事 | ☆ | |||
49 | 1973/8/25 | 水俣病闘争総括/センター建設始まる/告発喧嘩史/患者座談会/細目協定交渉/漁民チッソを封鎖/後戻りの水俣病医学/告発終刊 | ☆ | |||
号 | 通巻 | 発行日 | おもな内容 | 縮刷版に掲載 | BNセット | BN有 |
1 | 50 | 1973/9/25 | 「水俣」発刊にあたって/準備はOK!相思社と命名/堀田静穂さんに聞く/患者さん支援者を招待/女島部落/水俣病日誌/三度目の病名変更騒ぎ/公害被害補償法が成立 | ○ | ||
2 | 51 | 1973/10/25 | 補償金は吹きすぎる風/住みついた若者たち/水俣湾はまだ死の海/五井工場爆発/船繋ぎ網を手にして | ○ | ||
3 | 52 | 1973/11/25 | 生活の中から地道な闘いを/相思社に意見百出/ランク付委員決る/水銀騒動は空騒ぎに終るのか | ○ | ||
4 | 53 | 1973/12/25 | ここにセンターがたつ/それは今一歩の勇気か夢か/いま未踏の情況へ/小道のじいちゃん逝く | ○ | ||
5 | 54 | 1974/1/25 | これでやれやれち思うなよ/鹿児島漁民存亡の時/気骨つらぬいた人/人を呪わば穴ふたつ | ○ | ||
6 | 55 | 1974/2/25 | 解決の背後で/相思社の建築進む/通信/水俣病日誌/舌打ちの時は終わった/水俣裁判前史 | ○ | ||
7 | 56 | 1974/3/25 | 認定制度が人を殺す/ヤナヤナ日記/八木シズ子供述書/出月部落/判決一周年抗議集会が開かれる/水俣病日誌/未認定患者を緊急救済せよ/夕闇の花野菜畑 | ○ | ||
8 | 57 | 1974/4/25 | ヤナヤナ日記/ランク付け委員会は検察官か/水俣病日誌/ユージンの病気のこと/天の病む…娘のための書評 | ○ | ||
9 | 58 | 1974/5/25 | 公判費用を募る/川本裁判/チッソ側反論書を批判する/ヤナヤナ日記/相思社設計を通じて/川本裁判を闘い抜け/大阪でも自主交渉/健康調査が患者を隠す?/被告の座 | ○ | ||
10 | 59 | 1974/6/25 | 告訴の矢をつがえて/チッソ側提出の上申書/黒岩教授らに審査の資格なし/水俣病日誌/川本裁判/裁判傍聴記/相思社運営報告/ヤナヤナ日記/佐藤さんの証言を聞いて | ○ | ||
11 | 60 | 1974/7/25 | 反動化する水俣病医学/仮処分決定/中村新吾さんの近況報告/ヤナヤナ日記/認定の枠を破り水俣病そのものの確定を/水俣病日誌/川本裁判報告記/えい子食堂開店 | ○ | ||
12 | 61 | 1974/8/25 | 認定申請患者協議会結成/未認定患者闘いの端緒と開く/相思社直撃レポート/反動化した水俣病医学の論理/水俣病日誌/新審査会発足/御所浦レポート | ○ | ||
13 | 62 | 1974/9/25 | 反動医学との対決/行政不服審査、棄却理由は根拠なし/医学、行政の責任を問う/水俣病日誌 | ○ | ||
14 | 63 | 1974/10/25 | 環境庁裁決/審査請求163名中152名が棄却/不作為請求を認めよ/漁民無視の港湾整備事業/キノコを相思社の柱に/水俣病日誌/公害健康被害補償法の問題点/全国キャラバン | ○ | ||
15 | 64 | 1974/11/25 | 恣行審査会は解散せよ/県庁行動/公開質問状/川本被告、最終陳述からの抜粋/キノコ栽培に本格着手/ヤナヤナ日記/水俣病日誌/水俣湾ヘドロ処理/水俣病を考える会開催/書評 | ○ | ||
16 | 65 | 1974/12/25 | 熊本県相手の訴訟に踏み切る/認定制度をめぐって/ヤナヤナ日記/赤崎部落/未認定患者とその家族/水俣病日誌/ヘドロ処理/侍の家農業レポート | ○ | ||
17 | 66 | 1975/1/25 | 川本さんに判決下る/国立水俣病センター/認定審査会/相思社キノコ報告/未認定患者とその家族/北村綾子さんの死を悼む/水銀ヘドロ処理今年度着工断念/映画「不知火海」を見て | ○ | × | |
18 | 67 | 1975/2/25 | 水俣で初の三者会談/チッソ、政府に融資要請/相思社、医療棟検査室運転開始/合串部落/水俣病日誌/医学講演会/患者を訪れる日々 | ○ | × | |
19 | 68 | 1975/3/25 | 第一回口頭弁論開かれる/県の答弁書解説/危険な「治癒水俣病」論/鹿児島県、事実無視の棄却処分/水俣病日誌/判決2周年公害撲滅抗議集会/水銀ヘドロは2倍もあった | ○ | × | |
20 | 69 | 1975/4/25 | 審査会再開/黒岩審査会は認めない/私達はこう考える/ヤナヤナ日記/住み慣れた合串の村へ/認定保留患者が訴えの手紙/水俣病日誌/キャラバン報告/水俣病に医学はない | ○ | × | |
21 | 70 | 1975/5/25 | 検診体制の検討もなく/認定検討委、医学の自主性を表明/緒方正人君を訪ねて/水俣病センター相思社、50年度予算企画出る/認定問題、鹿児島県の実状 | ○ | × | |
22 | 71 | 1975/6/25 | 不作為違法確認訴訟、第3回口頭弁論/ランク付け委自然崩壊/尋ね人/協議会だより/相思社からの報告/宇井純氏の講演/水俣病日誌/カナダ水銀汚染問題 | ○ | × | |
23 | 72 | 1975/7/25 | 水俣湾ヘドロ処理県案説明会/検診センターの検証終わる/佐々木伝助さんを訪ねて/相思社活動報告/水俣病日誌/カナダインディアンを迎え/蘭控訴審判決報告/環境庁裁決解説 | ○ | × | |
24 | 73 | 1975/8/25 | 再棄却処分の意図するもの/露骨に出てきたニセ患者キャンペーン/一斉検診の結果発表/水俣病日誌/加害者は医者の中にも/相思社運営委員会報告/相思社世話日記 | ○ | × | |
25 | 74 | 1975/9/25 | 水俣湾の危険性を立て札で公示/協議会の杉村県議告訴に警察の圧力/智子ちゃんの近況/相思社世話日記/九州住民闘争交流団結合宿/水俣病日誌/熊大地域医療研究会/宇井純の手紙 | ○ | × | |
26・27 | 75・76 | 1975/11/25 | 水俣市民集会/権力の黒き意図を絶て!/救援カンパのお願い/水俣病センター相思社活動報告/カナダ訪問報告記 | ○ | × | |
28 | 77 | 1975/12/25 | 水俣病患者謀圧裁判、初公判に300名結集/不作為違法確認訴訟/申請患者、審査会会談/国際環境保全会議/相思社活動報告/キャラバン隊解散 | ○ | × | |
29 | 78 | 1976/1/25 | 起訴事実の曖昧さを暴露/原告側証言始まる/水俣病申請患者、支援者逮捕事件についての調査報告/相思社活動報告/相次ぐ死者悼む | ○ | × | |
30 | 79 | 1976/2/25 | 着々と進行するヘドロ問題処理/謀圧裁判/認定問題/不知火海調査団発足す/相思社活動報告/患者紹介/世話日記 | ○ | × | |
31 | 80 | 1976/3/25 | 不作為訴訟第9回口頭弁論/ヘドロ処理公開質問状始末/患者謀圧裁判/水俣大集会/認定問題/川本裁判/水俣流のキノコ作りを/患者紹介/相思社活動報告/世話日記 | ○ | × | |
32 | 81 | 1976/4/25 | 浜本亨さん認定の意味/水俣病日誌/患者謀圧裁判/不作為違法確認/不知火海総合学術調査団、水俣で6日間の合宿/相思社活動3年目、予算企画決まる | ○ | × | |
33 | 82 | 1976/5/25 | 患者を敵視する行政/謀圧裁判/患者紹介/水俣病日誌/チッソ元幹部起訴さる/「日本の素顔」を見て/山間部住民検診/世話日記 | ○ | × | |
34 | 83 | 1976/6/25 | 座談会、水俣の実状を探る/償われぬ苦患の中で/謀圧裁判/部落集会/世話日記/水俣病日誌 | ○ | × | |
35 | 84 | 1976/7/25 | 不作為訴訟結審/ヘドロ処理再検討せよ/チッソの殺人罪を問う/水俣病教育と取り組む、水俣高校長約束/赤崎部落を調査して/相思社世話日記 | ○ | × | |
36 | 85 | 1976/8/25 | :村野タマノさんを悼む/柳田タマ子さんやっと認定さる/謀圧裁判/申請協、沢田知事と交渉/未認定死亡患者/自主検診報告/茂道から/カナダインディアン居留記再訪問記/世話日記 | ○ | × | |
37 | 86 | 1976/9/25 | 第3回審査会任期終わる/チッソの刑事裁判始まる/杉村、斉所両県義の追及を/ヘドロ処理/九州住民闘争交流団結合宿報告/世話日記 | ○ | × | |
38 | 87 | 1976/10/25 | 再審査をすみやかに/三里塚訪問記/謀圧裁判第9回公判/償われぬ苦患の中で/新潟水俣病の現実1/世話日記/水俣病日誌 | ○ | × | |
39 | 88 | 1976/11/25 | 政治的認定審査の歴史を断て!/ニセ患者発言/チッソ裁判傍聴記/新潟水俣病の現実2/不作為違法確認訴訟原告側最終弁論/相思社活動報告/世話日記/患者組織の近況 | ○ | × | |
40 | 89 | 1976/12/25 | 不作為裁判、県の怠慢を切る/ヘドロ処理にもの申す/胎児性患者五名認定さる/嵐口の夢/世話日記/新潟水俣病の現実3 | ○ | × | |
41 | 90 | 1977/1/25 | 行政の逆手とりを許すな/不作為判決の裏で/会社は患者たちの将来を真剣に考えよ/謀圧裁判/真の水俣病の把握を/水俣湾と厚美湾/世話日記 | ○ | × | |
42 | 91 | 1977/2/25 | 初の患者各派統一抗議行動県庁へ/ヘドロ処理、早期着工のかけ声消える/川本裁判第10回公判/謀圧裁判/若い患者の東京行動/世話日記/原船「むつ」佐世保入港を阻止しよう | ○ | × | |
43 | 92 | 1977/4/25 | 申請協、県庁座り込みで責任追及/水俣で竹の子塾開講/川本裁判結審報告/ヘドロ処理/水俣から土呂久へ/水俣病日誌/水俣病患者連盟できる/世話日記 | ○ | × | |
44 | 93 | 1977/5/25 | 患者、石原長官に直訴提言/「必要なのは具体策だ」石原長官水俣訪問/水俣病日誌/反公害水俣共闘会議結成/三里塚集会に参加して/相思社活動第2期へ突入 | ○ | × | |
45 | 94 | 1977/6/25 | 川本裁判控訴審判決下る/東京行動報告/水俣病総申請運動始まる/環境庁交渉/ニセ患者裁判開かれる/水俣実践学校への招待/待望の公訴棄却判決を得て/世話日記 | ○ | × | |
46 | 95 | 1977/7/25 | 環境庁対策案/上告棄却を要求する水俣集会/ニセ患者発言裁判/不知火海に深刻な赤潮被害/水俣病日誌/この夏水俣で/世話日記 | ○ | × | |
47 | 96 | 1977/8/25 | 川本裁判、公訴権の乱用を許すまい/謀圧裁判/環境庁回答/水俣実践学校報告/胎児性患者の存在明らかに/相思社堆肥工場も本格化/世話日記/海辺の映画会だより/水俣病日誌 | ○ | × | |
48 | 97 | 1977/9/25 | 公訴棄却判決の意義と今後の闘い/国、ヘドロ処理工事を認可す/水俣病日誌/夏合宿を終えて/水俣で市民講座開く/不知火海・巡回映画班だより/ポーランドへの旅/世話日記 | ○ | × | |
49 | 98 | 1977/10/25 | 環境庁の認定促進案/危険なヘドロ処理/新審査体制の説明会/水俣病と天草の海/相思社殖産部活動報告/不知火海・巡海映画だより/世話日記 | ○ | × | |
50 | 99 | 1977/11/25 | 無謀工事を中止せよ/水俣病日誌/謀圧裁判/川本裁判/巡海映画の旅終わる/世話日記 | ○ | × | |
51 | 100 | 1977/12/25 | 工事差し止めの仮処分申請/川本輝夫供述書/水俣病日誌/不作為違法判決から丸一年/世話日記/上村智子ちゃんの葬式 | ○ | × | |
52 | 101 | 1978/1/25 | 第4期審査会、大量棄却の意味するもの/川本裁判/川本輝夫供述書/若い患者の会抗議声明/水俣病日誌/世話日記 | ○ | × | |
53 | 102 | 1978/2/25 | 国、県の責任を徹底追及する/川本輝夫供述書/川本さん市議補選に奮戦す/ヘドロ処理/水俣病日誌/謀圧裁判/たけのこ塾活発に | ○ | × | |
54 | 103 | 1978/3/25 | 国を相手の自主交渉/水俣病日誌/環境庁への怒りと暖かい支援への感動/川本輝夫供述書/世話日記/京都-ユージンスミス写真展 | ○ | × | |
55 | 104 | 1978/4/25 | 国家権力の意志、浮き彫りに/謀圧裁判/水俣病日誌/ヘドロ処理強行許すな/川本輝夫供述書/相思社活動報告と新年度計画 | ○ | × | |
56 | 105 | 1978/5/25 | 行政の水俣病処理策に逆襲せよ/二次訴訟による幕引きを許すな/環境庁の徹底追及を/水俣病日誌/川本輝夫供述書/相思社自立4カ年計画・第二年度/世話日記 | ○ | × | |
57 | 106 | 1978/7/25 | 患者さんへの手紙/まともな対応できぬ環境庁/新次官通達に反撃を/水俣病日誌/川本裁判、答弁書要旨/世話日記/第2回水俣実践学校を開きます | ○ | × | |
58 | 107 | 1978/8/25 | 患者切り捨てを急ぐ環境庁/熊本県庁前座り込み続行中/水俣病日誌/新事務次官通知(全文)/71年事務次官通知(部分)/世話日記 | ○ | × | |
59 | 108 | 1978/9/25 | 公害認定10周年と私のこの10年/水俣湾の釣り人増加/46年裁決から新次官通知まで/水俣病日誌/懸命に生きる患者さん達に感動/世話日記 | ○ | × | |
60 | 109 | 1978/10/25 | 川本裁判最高裁判決に向けて/ヘドロ処理工事差し止め仮処分/棄却患者同盟結成/謀圧裁判/第2回水俣実践学校報告/世話日記/石川さゆりショウ成功す/ユージンスミス氏逝く | ○ | × | |
61 | 110 | 1978/11/25 | 臨時措置法成立後の問題/県庁前座り込みテントを自主撤去/患者切り捨てに歯止めを/水俣病日誌/ヘドロ処理仮処分/水俣湾の魚はまだ危険/謀圧裁判も公訴棄却で闘おう/世話日記 | ○ | × | |
62 | 111 | 1979/1/25 | 1979年における水俣病状況を探る/ヘドロ処理仮処分一周年集会開く/第26回謀圧裁判/水俣病日誌/大阪で定期検診/待たせ賃裁判/患者紹介/世話日記/長船庄太郎さん逝く | ○ | × | |
63 | 112 | 1979/2/25 | 東京審査会とは何か/川本輝夫後援会発足す/水俣病日誌/謀圧裁判経過報告/ヘドロ処理仮処分/行政不服/世話日記/「水俣病-20年の研究と今日の課題」を読んで | ○ | × | |
64 | 113 | 1979/3/25 | 48年民事判決から二次判決に至るまで/水俣市議選/東京審査会、現地説明会粉砕さる/ヘドロ仮処分/水俣病日誌/謀圧裁判/ユージンスミスの略歴/ 世話日記/出月養生所開設 | ○ | × | |
65 | 114 | 1979/5/25 | 今春の刑事判決、第二次民事判決の問題を探る/水俣市議選裏表寸描/名誉毀損訴訟、被告尋問始まる/県外患者の実態と運動(上)/相思社活動報告と新年度計画/養生所活動計画 | ○ | × | |
66 | 115 | 1979/6/25 | 国の水俣病加害責任を何としても果たさせる/棄却処分をくつがえせ/東京で水俣週間/スミス夫妻写真展、日本の旅を終える/県外患者の実態と運動(下)/相思社自立四カ年計画 | ○ | × | |
67 | 116 | 1979/7/25 | 処分保留者、大量棄却さる/待たせ賃訴訟始まる/国立水俣病研究センター開所さる/上村長官来水記/謀圧裁判中間報告/仲村妙子さんの認定に思う/世話日記/我が映画発見の旅 | ○ | × | |
68 | 117 | 1979/9/25 | 歴代大臣、知事らの刑事責任を問わず/天草の死者とあって/仕切り、音響装置の効果なし/水俣病日誌/御所浦検診報告/仲村妙子さんの認定に思う(続)/世話日記/水俣実践学校 | ○ | × | |
69 | 118 | 1979/10/25 | 謀圧裁判結審報告記/行政不服審査/水俣病日誌/ヘドロ仮処分ついに結審/石けん売り歩る記/相思社前期活動報告/世話日記 | ○ | ||
70 | 119 | 1979/12/25 | 水俣病1979/水俣病日誌/認定と棄却の違いは何か/森下泰発言を撃つ/謀圧裁判と名誉毀損訴訟、12月17日結審/世話日記/戸村一作さんを悼む | ○ | × | |
71 | 120 | 1980/1/25 | 水俣での検討会報告/東京審査会始めての検診/池田ヤス子さんの手記/水俣病日誌/京都で水俣病活動者会議/小崎達純君の成人式/水俣病患者家庭果樹同志会/世話日記 | ○ | ||
72 | 121 | 1980/2/25 | 患者封じ込めの策謀を裁け/不知火海の漁/水俣病日誌/コソ泥のような東京審査会/待たせ賃訴訟経過報告/棄却者達の声1/若い患者の会と合同新年会/世話日記 | ○ | ||
73 | 122 | 1980/4/25 | ニセ患者発言事件、名誉毀損訴訟判決/謀圧裁判/水俣病日誌/棄却者達の声2/世話日記/水俣の図について/謀圧裁判を支援する会結成される | ○ | ||
74 | 123 | 1980/5/25 | 患者弾圧抗議集会に300の市民結集/強引な逮捕劇に弾劾の渦広がる/水俣病の幕引き許すな/環境庁に抗議行動/ヘドロ裁判公訴せず/謀圧裁判判決文を読んで/患者家族紹介 | ○ | ||
75 | 124 | 1980/6/25 | ヘドロ工事再開/患者家族紹介/川本、高倉両氏を招いて東京集会/水俣病センター訪問記/水俣病日誌/世話日記/棄却者の声 | ○ | ||
76 | 125 | 1980/7/25 | 獅子島の四氏、棄却理由を糾す/患者家族紹介/浜元二徳さんに聞く/水俣にスパイ記者!?/世話日記/水俣病日誌/不知火海の漁 | ○ | ||
77 | 126 | 1980/8/25 | 棄却のための検診は拒否するぞ/水俣病日誌/坂本登さんに聞く/第4回水俣実践学校報告/相思社から写真集自費出版 | ○ | ||
78 | 127 | 1980/9/25 | 検診拒否運動始まる/佐藤武春さんに聞く/川本、高倉さん不起訴/水俣病日誌/世話日記/棄却者の声 | ○ | ||
79 | 128 | 1980/11/25 | 検診拒否行動進む/不知火海の漁/仕切り網が切れた!!/森山忠さんに聞く/水俣病日誌/世話日記/棄却者の声 | ○ | ||
80 | 129 | 1980/12/25 | 川本裁判の公訴棄却が確定/患者家族紹介/国立水俣病研究センター、黒子所長に聞く/闘いの起点を求めて/水俣病日誌/世話日記/棄却者の声 | ○ | ||
81 | 130 | 1981/1/25 | 国家を裁き返した川本裁判/不知火海の漁/川本裁判勝訴/次は謀圧だ、意気あがる水俣現地/世話日記/苦海と浄土を描く丸木夫妻 | ○ | ||
82 | 131 | 1981/3/25 | 謀圧裁判控訴審に向けて/不知火海の漁/ヘドロ処理監視委に緊張感なし/我が水俣病闘争の出発点/水俣病は終わったという風潮に一言/世話日記/「水俣の図物語」上映運動開始 | ○ | × | |
83 | 132 | 1981/4/25 | 謀圧裁判、第一回控訴審開かれる/溝口マサエさんを訪ねて/検診終わらぬのに棄却通知/不知火海の漁/検診開始は見送り/水俣病日誌/相思社理事会報告 | ○ | × | |
84 | 133 | 1981/5/25 | 水俣病歴史考証館、その構想を問う/患者家族紹介/水俣病医学の衰退を憂う/水俣病日誌/認定制度がなければ救済はないのか/「水俣の図・物語」上映運動始まる/不知火海の漁 | ○ | × | |
85 | 134 | 1981/6/25 | 申請協、審査会に総辞任、解散要求/水俣週間開かれる/水俣病日誌/環境庁は廃止すべき/不知火海の漁/水俣工場の縮小、撤退と断固闘う/「水俣の図・物語」上映運動各地の報告 | ○ | × | |
86 | 135 | 1981/7/25 | 審査委員の大半が辞意を表明/不知火海の漁/教科書検定/謀圧裁判控訴審報告/水俣湾ヘドロ処理/水俣病日誌/本物の絵をこの目で見たい/世話日記 | ○ | × | |
87 | 136 | 1981/8/25 | 待たせ賃訴訟報告/不知火海の漁/教科書攻撃-チッソ名削除をこう考える/「水俣の図・物語」北海道一巡上映ルポ/世話日記/御所浦検診報告 | ○ | × | |
88 | 137 | 1981/9/25 | 患者の等身像につきあう/不知火海の漁/まだ汚染魚が売られていた!/水俣病日誌/謀圧裁判を支える福岡の会、奮闘記 | ○ | × | |
89 | 138 | 1981/11/25 | 汚染魚問題を追う/仕切り網のからくりを見た/検診拒否運動14ヶ月/東京で謀圧裁判報告会/座り込み10周年に思う/水俣病日誌/世話日記/チッソから水俣へ | ○ | × | |
90 | 139 | 1981/12/25 | 認定制度を崩壊に追い込む/水俣病日誌/水俣生活学校アピール/世話日記/謀圧裁判傍聴記/チッソ支援県債発行の問題点(上) | ○ | ||
91 | 140 | 1982/2/25 | 緒方正人さんに聞く/水俣の海岸を見て歩く/謀圧裁判/魚の話ば聞かせましょい/チッソ支援県債発行の問題点(下)/水俣病日誌 | ○ | ||
92 | 141 | 1982/3/25 | 県庁に一週間座り込む/やっぱり審査会はチッソの味方/水俣病日誌/広島20万人集会に参加/水俣生活学校開講す/世話日記 | ○ | × | |
93 | 142 | 1982/5/25 | 小児性水俣病患者の認定をめぐって/水俣の海岸を見て歩く/チッソ水俣病関西訴訟/水俣病日誌/生活学校はこれから始まる/世話日記/謀圧裁判/相思社理事会報告 | ○ | × | |
94 | 143 | 1982/7/25 | 水俣集会に300名参加/水俣の海岸を見て歩く/長期保留者を救済!?/待たせ賃訴訟9月に結審/御所浦で初めての県交渉/水俣病日誌/市が水俣病資料館建設へ/ナイロビ環境会議 | ○ | × | |
95 | 144 | 1982/9/25 | 検診拒否、3年目に突入/何に使った水俣病研究費!?/第6回実践学校の反省/水俣駆足訪問記/「水俣病事件史-無辜なる海」の撮影を終えて/水俣生活学校とは/世話日記 | ○ | × | |
96 | 145 | 1982/10/25 | 関西在住チッソ水俣病患者提訴/チッソ水俣病関西訴訟原告団決意表明/待たせ賃裁判結審報告/合成洗剤追放第6回全国集会/水俣生活学校訪問記/水俣病日誌/世話日記 | ○ | × | |
97 | 146 | 1982/12/25 | 今こそ認定制度を見直すとき/チッソ水俣病関西訴訟提訴にあったって/関西訴訟、訴状の要旨/水俣湾の外にヘドロ流出/日弁連報告批判/水俣生活学校訪問記/水俣病日誌 | ○ | × | |
98 | 147 | 1983/1/25 | 水俣病判決10周年を新たな展開の第一歩に/川本さん再び立候補を決意/水俣生活学校第二期生募集/水俣生活学校訪問記/こんにちは1/深き渕より叫ぶ1 | ○ | ||
99 | 148 | 1983/2/25 | 水俣病判決10周年大集会に参加しよう/こんにちは2/関西訴訟原告団患者紹介/水俣病日誌/「不知火海百年の会」のこと/深き渕より叫ぶ2/世話日記/水俣生活学校第一期終了 | ○ | ||
100 | 149 | 1983/3/25 | 判決10周年集会に各派結集/世話日記/私の生き方を変えた裁判/こんにちは3/関西訴訟原告団患者紹介3/真宗寺仏青と水俣病/患者さんの生き方から学ぶ/水俣病判決10周年集会 | ○ | × | |
101 | 150 | 1983/4/25 | 生活学校1年を経て/川本さん水俣市議に初当選/水俣病日誌/判決10周年集会の印象/こんにちは4/関西訴訟原告団患者紹介4/国、県、ヘドロ浚渫に強行着手/生活学校第2期 | ○ | ||
102 | 151 | 1983/5/25 | 川本市議に抱負を聞く/川本市議選かく闘えり/こんにちは5/日本環境会議開く/謀圧裁判傍聴記/相思社理事会報告/関西訴訟原告団患者紹介5/世話日記/深き渕より叫ぶ3(紙面には101号と書かれているが誤植) | ○ | ||
103 | 152 | 1983/6/25 | 支配ではなく支援を/チッソ県債問題の新局面/「みちことオーサ」上映会のこと/行政責任追及の節目に/こんにちは6/海辺に巨きな人がいた/関西訴訟原告団患者紹介6/深き渕 | ○ | × | |
104 | 153 | 1983/7/25 | 待たせ賃訴訟、全面勝訴/判決から県交渉まで/こんにちは7/待たせ賃訴訟東京行動/関西訴訟原告団患者紹介7/深き渕より叫ぶ/チッソ株主総会は無効/世話日記 | ○ | × | |
105 | 154 | 1983/9/5 | 申請協、御所浦で呼びかけ開始/教育を考える水俣合宿/こんにちは8/関西訴訟原告紹介8/色川調査団長に聞く/深き渕より叫ぶ/相思社に資料室完成/水俣病日誌/書評 | ○ | ||
106 | 155 | 1983/10/5 | 水俣市政研、幅広い市民運動の場に/待たせ賃控訴審に向けて/川本輝夫さんに聞く/共産党のデマ宣伝を斬る/深き渕より叫ぶ/こんにちは9/書評/水俣病日誌/関西訴訟原告紹介 | ○ | × | |
107 | 156 | 1983/11/5 | 13年目の御所浦自主検診/国際環境大学設立構想の経緯/関西訴訟/不知火海水俣病元年の記録/警察医と警察の謀略/水俣病日誌/深き渕より叫ぶ/水俣市議会/関西訴訟原告紹介 | ○ | × | |
108 | 157 | 1983/12/15 | 相思社の十年(1)/チッソ水俣病関西訴訟、支援集会開かれる/水俣病日誌/待たせ賃訴訟/関西訴訟原告紹介/水俣病裁判解説/第三次訴訟/生活学校収穫祭/こんにちは10 | ○ | ||
109 | 158 | 1984/1/5 | チッソ水俣病関西訴訟一周年/ヘドロ処理工事/水俣病日誌/製作から上映まで「無辜なる海」/こんにちは11/智子さんの七回忌/関西訴訟原告紹介 | ○ | × | |
110 | 159 | 1984/2/5 | 相思社十年(2)/認定申請医療費赤字/待たせ賃訴訟/関西訴訟原告紹介/白川健一教授の死を悼む/水俣病裁判解説/水俣病日誌/こんにちは12/生活学校待望の子牛誕生 | ○ | × | |
111 | 160 | 1984/3/5 | 相思社十年(3)/関西で初の行政不服口頭審理/関西訴訟原告紹介14/控訴審への補助参加を訴える/ニセ患者発言の本質を究明/「水俣の甘夏」上映に向けて/生活学校座談会 | ○ | × | |
112 | 161 | 1984/5/5 | 相思社の10年(4)/待たせ賃請求書提出/関西訴訟/謀圧裁判/関西訴訟原告紹介15/ヘドロ処理事業補償/原田正純氏へのインタビュー/こんにちは14/相思社秋季法要会 | ○ | ||
113 | 162 | 1984/6/5 | 相思社の10年(5)/浜元さんら「アジアと水俣を結ぶ会」結成/関西訴訟/謀圧裁判/御所浦レポート/水俣病日誌/相思社理事会報告/水俣生活学校/こんにちは15/世話日記 | ○ | ||
114 | 163 | 1984/7/5 | 相思社の10年(6)/川本さんの議員生活報告/水俣合宿のお誘い/地域ぐるみの水銀汚染/関西訴訟/水俣病日誌/水俣生活学校/水俣実践学校案内/世話日記 | ○ | × | |
115 | 164 | 1984/8/5 | 溝口マスエさんの死によせて/アジアの人との連帯を/不作為訴訟第二回口頭弁論/謀圧裁判控訴審/「無辜なる海」「水俣の甘夏」上映運動の輪各地に/こんにちは16 | ○ | × | |
116 | 165 | 1984/9/5 | 相思社の10年/御所浦自主検診/名誉回復並びに損害賠償請求訴訟/実践学校に参加して/関西訴訟原告紹介/水俣病日誌/水俣浮浪雲工房からの報告/世話日記 | ○ | ||
117 | 166 | 1984/10/5 | 相思社の10年(8)/監視委経過/遅すぎた環境庁裁決/こんにちは17/謀圧裁判控訴審15回公判/水俣訪問記/世話日記 | ○ | ||
118 | 167 | 1984/11/5 | 相思社の十年(最終回)/関西訴訟報告/水俣病日誌/ヘドロ処理監視体制を縮小/待たせ賃裁判/収穫祭新企画を追加/アジアと水俣を結ぶ会訪問記/関西訴訟原告紹介 | ○ | × | |
119 | 168 | 1984/12/5 | 果樹同志会の夢を実現させたい/関西訴訟第14回口頭弁論/ズサン検診明るみに/無辜なる海上映会/謀圧裁判/水俣病日誌/相思社十年大収穫祭 | ○ | ||
120 | 169 | 1985/2/5 | 不作為制裁訴訟供述録取書/関西訴訟合同研究会を開く/認定取消訴訟/待たせ賃訴訟口頭弁論報告/関西訴訟原告紹介/謀圧裁判被告人質問/深き渕より叫ぶ9/水俣病日誌 | ○ | ||
121 | 170 | 1985/3/5 | チッソ擁護した厚生省/ヘドロ処理/関西訴訟/不作為制裁訴訟供述録取書(2)/「相思社の十年」連載を読んで/深き渕より叫ぶ/生活学校の近況/無辜なる海・水俣の甘夏を観て | ○ | ||
122 | 171 | 1985/4/5 | 謀圧裁判第18回公判/謀圧裁判を傍聴して/違法性濃いヘドロ処理/不作為制裁訴訟供述録取書(3)/棄却取消訴訟/深き渕より叫ぶ/世話日記 | ○ | ||
123 | 172 | 1985/5/5 | 不作為制裁訴訟供述録取書(4)/カルテは誰の物か/生活学校第4期生は14人/水俣病日誌/患者果樹同志会報告/深き渕より叫ぶ/世話日記/こんにちは20 | ○ | ||
124 | 173 | 1985/6/5 | 不作為制裁訴訟供述録取書(5)/関西訴訟/新排水路説明会/感覚障害のみの水俣病をめぐって/書評/深き渕より叫ぶ/水俣実践学校案内/世話日記/相思社理事会報告 | ○ | ||
125 | 174 | 1985/7/5 | 理不尽な医療費打ち切り宣言/中川公害部長と交渉/謀圧裁判控訴審/川本輝夫氏、名誉毀損訴訟第二準備書面を提出/深き渕より叫ぶ/こんにちは21 | ○ | ||
126 | 175 | 1985/9/5 | 三次訴訟/二次訴訟控訴審判決/関西訴訟口頭弁論/棄却取消訴訟結審/川本氏名誉毀損訴訟/実践学校報告/認定審査会へ公開質問状/全国革新議員会議/不知火記/深き渕より叫ぶ | ○ | ||
127 | 176 | 1985/10/5 | 二次訴訟控訴審判決を読んで/排水路浚渫工事で市が肩入れ/水俣病日誌/ジャカルタ訪問記/名誉毀損訴訟/関西訴訟/わが町わが水俣病(1)/深き渕より叫ぶ/こんにちは23 | ○ | ||
128 | 177 | 1985/11/5 | 待たせ賃裁判控訴審判決を前に/患者救済に前進なし/関西訴訟/関西訴訟原告紹介/水俣病日誌/わが町わが水俣病(2)/こんにちは24/世話日記/深き渕より叫ぶ | ○ | ||
129 | 178 | 1985/12/5 | 不作為制裁訴訟控訴審判決/福岡行動/石本長官、面会を拒否/関西訴訟/名誉毀損訴訟/水俣病日誌/第4回収穫祭報告/こんにちは25 | ○ | × | |
130 | 179 | 1986/2/5 | 早期救済どう迫る/関西訴訟/水俣病日誌/関西訴訟原告紹介/不作為制裁訴訟控訴審判決・解説/渡辺栄蔵さんを悼む/わが町わが水俣病(3)/こんにちは26 | ○ | ||
131 | 180 | 1986/3/5 | 「水俣病」問いかけの書/受け流したチッソの回答/水俣市長選/水俣病日誌/水俣病30年実行委/不作為制裁訴訟/わが町わが水俣病(4)/世話日記 | ○ | × | |
132 | 181 | 1986/4/5 | 棄却取消訴訟判決/医療費打ち切りに抗議/水俣病日誌/水俣病30年と乙女塚/関西訴訟原告紹介/海は死なず-水俣病その30年/水俣病三十年(1)/わが町わが水俣病(5) | ○ | ||
133 | 182 | 1986/5/5 | 公訴棄却判決/ヘドロ監視委の存在を問う/水俣病日誌/過ち正せ!認定審査会/棄却取消訴訟判決を読んで(上)/在宅検診運動を展開/こんにちは28/世話日記 | ○ | ||
134 | 183 | 1986/6/5 | 水俣病30年、アジア民衆環境会議/なくそう差別と偏見/関西訴訟原告紹介/水俣病日誌/水俣病三十年記念講演/棄却取消訴訟判決を読んで(下)/わが町わが水俣病(6) | ○ | ||
135 | 184 | 1986/7/5 | 県、再申請封じに狂奔/関西訴訟/水俣病日誌/環境博シンポ/謀圧裁判控訴審判決批判/相思社理事会報告 | ○ | ||
136 | 185 | 1986/8/5 | 水俣病の終焉策を叩きつぶせ/細川知事らを告発/水俣病日誌/医療費打ち切りを撤回せよ/こんにちは30/関西訴訟/関西訴訟原告紹介/不作為制裁訴訟/水俣病の30年(2) | ○ | ||
137 | 186 | 1986/10/5 | 拝啓、椿忠雄先生/検証ヘドロ処理/水俣病日誌/フィリピン交流記/水俣病日誌/関西訴訟原告紹介/関西訴訟/水俣病30年匿名座談会/わが町わが水俣病(7)/実践学校報告 | ○ | ||
138 | 187 | 1986/11/5 | 棄却取消訴訟意見陳述書/申請協主催、部落集会各地で開く/水俣病日誌/私の水俣病/関西訴訟原告紹介/わが町わが水俣病(8)/韓国訪問記/新刊紹介 | ○ | ||
139 | 188 | 1986/12/5 | 住民の安全を確保せよ/水俣市議定数削減騒動/検診参加は救済となるか/川本名誉毀損訴訟/水俣病日誌/第5回生活学校収穫祭/水俣病30年記念行事/坂本マスオさんのこと | ○ | ||
140 | 189 | 1987/1/5 | 謀圧裁判上告趣意書/湾内の釣り人と杜撰なヘドロ処理/水俣病日誌/水俣大学構想を発表/甘夏販売にご協力を/私の水俣病/こんにちは31/不知火日記 | ○ | ||
141 | 190 | 1987/2/5 | 関西訴訟/ズサンな県の弁明書/水俣病日誌/中学生感想文/関西訴訟原告紹介/こんにちは32/私の水俣病/不知火日記 | ○ | ||
142 | 191 | 1987/3/5 | 「医学と裁判」に対する医学的批判(上)/審査会の剖検体制に新事実/石けん工場完成/水俣病日誌/公開質問状に研究センター回答/原カルテ提出を要求/日共デマ事件訴訟 | ○ | ||
143 | 192 | 1987/4/5 | 三次訴訟、熊本地裁、国・熊本県を断罪/「医学と裁判」に対する医学的批判(下)/水俣病日誌 | ○ | ||
144 | 193 | 1987/5/5 | 第三次訴訟判決解説(上)/水俣市議選、川本さんV2果たす/水俣病日誌/患者連盟定期総会開く/関西訴訟口頭弁論/関西訴訟原告紹介/ベトナムに検診車を送る会/不知火日記 | ○ | ||
145 | 194 | 1987/6/5 | 関西訴訟、水俣湾は汚れてなどいなかった/棄却取消訴訟控訴審/水俣病歴史考証館/水俣病日誌/第6期生活学校/不知火日記/転機に立つ果樹同志会/相思社理事会報告 | ○ | ||
146 | 195 | 1987/7/5 | 関西訴訟、坂本美代子さん証言/検診医が申請患者に乱診、暴言/水俣病日誌/67年も前に枢機水銀中毒、スイスの論文が裏付け/生活学校近況報告/不知火日記/わが町わが水俣病 | ○ | ||
147 | 196 | 1987/8/5 | 行政は患者の問いに答えよ/誰のために検診か/水俣病日誌/県公害部交渉に参加して/水俣病日誌/ミナマタ’87全道巡回展/川本名誉毀損訴訟/わが町わが水俣病(10) | ○ | ||
148 | 197 | 1987/10/5 | 雨夜の乙女塚祀り/関西訴訟、浅薄な水産課の認識/チッソ昨年の採用試験面接、水俣病を踏み絵に/鬼塚巌さん撮影8ミリ映画連続上映会スタート/第11回実践学校に参加して | ● | × | |
149 | 198 | 1987/11/5 | 第三次訴訟判決解説(中)/行政不服審査会/こんにちは35/相思社この半年/林洋子、水俣公演/水俣病日誌/医療の原点をみた/不知火日記 | ○ | ||
150 | 199 | 1987/12/5 | 関西訴訟、企業癒着そして被害者無視/「今から一歩の会」の今年の歩み/県債発行3年延長決まる/第三次訴訟判決解説(下)/第6回生活学校収穫祭/不知火日記 | ○ | ||
151 | 200 | 1988/2/5 | 名誉毀損訴訟、憶測での誹謗は明らか/人間としての責任を/こんにちは36/水俣病日誌/根拠欠く県の資料非公開/椿忠雄教授の死に思う/歴史考証館やっと建築GOサイン | ● | × | |
152 | 201 | 1988/3/5 | チッソ刑事裁判、禁固2年執行猶予3年/認定ゼロの意味するもの/水俣病日誌/患者差別!免許取り下げを陳情/相思社環境調査部活動報告(上)/水俣でWHO国際会議 | ○ | ||
153 | 202 | 1988/4/5 | 関西訴訟、原田熊大医学部助教授証言/潜在患者の救済実るまで/ヘドロ監視委、高い水銀値を無視/相思社環境調査部活動報告(下)/水俣病日誌/不知火日記/石けん工場一周年 | ● | × | |
154 | 203 | 1988/6/5 | 被害を出し始めたヘドロ処理事業/機能しないヘドロ監視委/佐藤部長議会答弁/水俣病日誌/三嶋審査会長の罷免を要求/棄却取消訴訟控訴審/こんにちは38 | ○ | ||
155 | 204 | 1988/8/5 | 誠意見られぬチッソ 原因裁定に望み/基準値55倍の水銀検出/自主交渉に学ぶ/カルテ提出先送り 他 | ● | × | |
156 | 205 | 1988/10/5 | チッソ交渉団 工場前に座り込み/幕引き画策露わ/デタラメ発言を追求/実践学校報告/救済法の精神を無視 | ● | × | |
157 | 206 | 1988/11/5 | 座り込み続行を確認/患者強制排除は不当/恐るべき人権感覚/チッソも異常 住友も | ○ | ||
158 | 207 | 1988/12/5 | 水俣病御用医学を排す/チッソ本社交渉 闘いに新たな人間も/患者排除の学会とは何か 他 | ○ | ||
159 | 208 | 1989/2/5 | 今こそ熱い支援の波を/救済の道は裁判だけじゃない!/果てしなき水俣病/原カルテに「水俣病」他 | ○ | ||
160 | 209 | 1989/3/5 | 怒りを込めて抗議する 陰謀をこそ裁くべき/テント撤去の意味 上/危うい補償交渉の行方/水俣病潰し の犠牲/水俣病日誌/細川(知事)の怠慢を許すな/歴史考証館6カ月/子供に伝えたい水俣の記憶/来館者は順調に増加/不知火日記/こんにちは 山崎トシ 子さん/初めて「交渉」にも参加(紙面には159号と書かれているが誤り) | ○ | ||
161 | 210 | 1989/5/5 | 慢性水俣病に関する意見書(上)原田正純/五者会談 第一回交渉/腐った環境庁/有機水銀汚染の「国際 環境基準」強化に反論を志す/胎児への影響を重視/IPCSとは/時代の流れに逆行/チッソ水俣病患者連盟などが抗議/テント撤去の意味 中/被・加害の 立場逆転/生活学校 対抗文化の発信基地に/ニューフェィス、元気に8名参加(紙面には160号と書かれているが誤り) | ○ | ||
162 | 211 | 1989/9/5 | 理想と現実の間で揺れ動く相思社/未検診死亡者を救済せよ/テント撤去の意味(下)/相思社理事会報告 他 | ○ | ||
163 | 212 | 1989/11/5 | 水俣病センター相思社の再生を求めて(答申)/小早川県議の知的レベルについて/大人の裁きを問う 他 | ○ | ||
164 | 213 | 1989/12/5 | 補償要求額を提示/チッソ交渉団・申請協、患者連合を結成/安易な選択から生じた/反収約400キロ 他 | ○ | ||
165 | 214 | 1990/1/5 | 全国消費者へ謝罪の旅/開かれた精神を/要求回答に進展なし/おいこら!赤崎さん安らかに 他 | ○ | ||
166 | 215 | 1990/4/5 | 相思社声明/湾内の水銀値は高濃度/毛髪水銀いまの基準以下でも胎児に影響/水俣病の幕引きに抗す 他 | ○ | ||
167 | 216 | 1990/7/5 | チッソ回答に患者連合が声明/水俣湾の漁獲禁止を提訴/圧殺された個人の運動/相思社理事会報告 他 | ○ | ||
168 | 217 | 1990/9/5 | 謀略者たちよ目覚めよ/患者はほぼ救済した県公害課長の暴言/埋立られない水俣病/無機水銀も残留 他 | ● | × | |
169 | 218 | 1990/12/5 | 和解勧告各地で相次ぐ/不毛な行政側の証人申し立て/患者団体が一致団結へ/今年も燃えたぞ 他 | ○ | ||
170 | 219 | 1991/3/5 | 関西訴訟の意義・展開状況/ニセ患者発言/行政不服に取消裁決/患者連合、知事交渉/関西訴訟原告紹介 他 | ○ | ||
171 | 220 | 1991/7/5 | 海の声を聞く会が公開質問状/アクションプログラム/美35周年 他 | ○ | ||
172 | 221 | 1991/8/5 | 待たせ賃訴訟最高裁判決/棄却取消訴訟/患者連合、知事交渉/相思社理事会報告/アジアと水俣を結ぶ会 他 | ○ | ||
173 | 222 | 1991/11/5 | 考証館開館3周年/待たせ賃訴訟、継続決定/水俣’91in大阪/ネコ実験 /相思社、秋の法要/漁獲禁止訴訟/ネコ実験 | ○ | ||
174 | 223 | 1991/12/5 | 和解問題のゆくえ/相思社理事会上半期報告/患者連合、チッソ交渉/大阪シンポジウム/水俣国際会議 他 | ○ | ||
175 | 224 | 1992/1/5 | 中公審答申/患者連合支援集会/水俣テレビ映像を見る会/棄却取消訴訟/漁獲禁止訴訟/水俣病事件と差別他 | ○ | ||
176 | 225 | 1992/2/15 | 新潟二次訴訟判決/患者連合総決起集会/東京訴訟東京地裁判決/「おるが安賃」学習会/水俣病事件と差別他 | ○ | ||
177 | 226 | 1992/3/15 | 待たせ賃訴訟差戻し控訴審/東京訴訟東京地裁判決/県教組、広瀬武/生活学校閉校報告/水俣病事件と差別他(紙面には176号と書かれているが誤り) | ○ | ||
178 | 227 | 1992/4/15 | 新潟二次訴訟新潟地裁判決/東京訴訟東京地裁判決/棄却取消訴訟/実践学校/患者連合、新潟・大阪訪問 他 | ○ | ||
179 | 228 | 1992/5/15 | 佐々木患者連合新会長にきく/新潟水俣病判決後の動き/環境庁の総合対策実施要領/慰霊式/寺本広作死去他 | ○ | ||
180 | 229 | 1992/6/15 | 関西訴訟の現状と展望/釜山で水俣病写真展/私たちの環境会議ミナマタ/相思社理事会/待たせ賃訴訟 他 | ○ | ||
181 | 230 | 1992/10/15 | 水俣病の現在(上)/実践学校報告/三次訴訟福岡高裁、一時金提示/坂本中学校現地学習会/仕切網 他 | ○ | ||
182 | 231 | 1992/12/5 | 水俣病の現在(下)/三次訴訟等判決前の和解困難?/国際シンポジウムに参加して/水俣病資料館 他 | ○ | ||
183 | 232 | 1993/1/5 | 映画「阿賀に生きる」を観て/福岡高裁が一時金の最終所見/砂田明氏、県民文化祭/環境創造みなまた 他 | ○ | ||
184 | 233 | 1993/4/5 | 水俣病判決20周年にあたって/三次訴訟熊本地裁判決/まだ逝かないで/丘の上から/待たせ賃訴訟福岡高裁 | ○ | ||
185 | 234 | 1993/5/5 | 熊本地裁の三次訴訟判決を読む/まやかしの廃水「浄化」/新潟水俣病をめぐる人びと/患者連合の動き 他 | ○ | ||
186 | 235 | 1993/7/5 | 水俣の「今」と相思社20年/闘いを問直す機に/まやかしの廃水「浄化」/相思社理事会報告 他 | ○ | ||
187 | 236 | 1993/9/5 | 関西訴訟の結審を了えて/私たちに託して逝った/ばあちゃんたち頑張ろうで/県は準備書面を撤回せよ 他 | ○ | ||
188 | 237 | 1993/11/5 | 覆された不服審査会裁決/チッソだけに和解を処理させるための「代価」/県はご都合主義の恥をしれ 他 | ○ | ||
189 | 238 | 1994/2/5 | 水俣病問題集結と引き換え/新潟水俣病をめぐる人々/各地の闘う決意を確認/相思社秋の理事会報告 他: | ○ | ||
190 | 239 | 1994/3/5 | 「水俣・東京展」実現へ/京都訴訟京都地裁判決解説/宮澤講演報告/棄却取消訴訟報告/湯堂の海辺から 他: | ○ | ||
191 | 240 | 1994/6/5 | 水俣病関西訴訟大阪集会講演/関西訴訟原告の思い/待たせ賃訴訟報告/患者連盟総会報告/新潟水俣病 他 | ○ | ||
192 | 241 | 1994/8/5 | 水俣病関西訴訟一審判決を読む(上)/東京から水俣を問い直す/新潟水俣病をめぐる人々第7回 /処分状況 | ○ | ||
193 | 242 | 1994/10/5 | 大阪地裁判決を弾劾する/水俣病関西訴訟1審判決を読む/こどものごんずいのがっこう/連載 新潟水俣病 他 | ○ | ||
194 | 243 | 1994/11/5 | チッソ県債ドロ沼へ/検証 政府の新支援策/記憶と祈り/新潟水俣病をめぐる人々/不可思議な環境庁裁決 | ○ | ||
195 | 244 | 1995/1/5 | 控訴審へ悔しさ晴らさん/上申書運動/最後まで信念を貫いた/新潟水俣病をめぐる人々/相思社活動報告 | ○ | ||
196 | 245 | 1995/3/5 | 患者連合佐々木会長に聞く(上)/本願の会発足に際して緒方正人、半田隆/新潟水俣病をめぐる人々小林懋氏(紙面には195号と書かれているが誤り) | ○ | ||
197 | 246 | 1995/5/5 | 水俣東京展/水俣病日誌/水俣病患者連合会長、佐々木清登さんに聞く(下)/新潟水俣病をめぐる人々/長期微量水銀汚染への懸念/市と共催で慰霊式(紙面には196号と書かれているが誤り) | ○ | ||
198 | 247 | 1995/7/5 | 与党、解決案を提出/連立与党「解決案」要旨/新潟の患者も和解申し立て/待たせ賃差し戻し審/新潟水俣病をめぐる人々/相思社夏のセミナーのご案内/相思社理事会報告 | ○ | ||
199 | 248 | 1995/10/5 | チッソ水俣病関西訴訟これからの取り組み/本願の会のみ入れ式/水俣病日誌/不服審査請求へ口頭審理/新潟水俣病をめぐる人々/不知火日記/ごんずい夏期セミナー水俣 | ○ | ||
200 | 249 | 1995/12/5 | 40年目の解決案/政府連立与党の「解決案」要旨/解決案受入れまでの経過(上)/水俣病日誌/新潟水俣病をめぐる人々/水俣病事件と法/遺影を集め続けた一年/不知火日記 | ○ | ||
201 | 250 | 1996/2/5 | 歴史への恐れ知らぬ首相談話/解決案受入までの経過(下)/ポーランド・ドイツへの旅/新潟水俣病をめぐる人々/水俣病日誌/待たせ賃訴訟差し戻し審/書評 | ○ | ||
202 | 251 | 1996/4/5 | 行政の悪業を追った5年間/仕切り網撤去を提言/問題残した判定検討会/新潟水俣病をめぐる人々/水俣病日誌 | ○ | ||
203 | 252 | 1996/7/5 | 水俣病事件資料集を刊行/東京の人ありがとう/自主交渉が終結/水俣病公式確認40年/水俣病日誌/新潟水俣病をめぐる人々/相思社理事会報告 | ○ | ||
204 | 253 | 1996/9/5 | 水俣東京展の意味/ズサンな「救済」事業/患者連合、組織存続を総会決議/常世の舟を漕ぎて/新潟水俣病をめぐる人々/水俣病日誌 | ○ | ||
205 | 254 | 1996/11/5 | 待たせ賃訴訟の差し戻し審判決を読んで/水俣東京展/水俣病日誌/新潟水俣病をめぐる人々/書評/しのびよる水銀汚染、初のビクトリア湖環境調査 | ○ | ||
206 | 255 | 1997/2/5 | 関西訴訟の今/棄却取消訴訟控訴審が結審/膨らみ続けるチッソ県債/相思社秋の理事会/水俣病日誌/新潟水俣病をめぐる人々/相思社理事長、岩本廣喜さん死去 | ○ | ||
207 | 256 | 1997/4/5 | 関西訴訟の今2/岩本廣喜さんをしのぶ/仕切り網全面撤去へ/患者団体新たに結成/御手洗鯛右さんを水俣病と認定/新潟水俣病をめぐる人々/不知火海に生きて/水俣病日誌 | ○ | ||
208 | 257 | 1997/7/5 | 関西訴訟のいま③・控訴審の法的問題点 小野田学/相思社理事会開かれる・新たな局面の中教訓どう生かす/96年度活動報告/97年度活動計画/新理事長に佐々木清登さん(*岩本廣喜、未認定患 者、患者連合)/総合対策医療事業の拡充・3団体、環境庁などに要求/水俣病日誌/5.1水俣メモリアルで慰霊式・ずれ大きい長官の言葉/少ない犠牲者名 簿、登録基準に疑問/新潟水俣病をめぐる人々・坂東克彦さん③ 北野隆一/不知火海に生きて(中)岩本廣喜さんの生涯 牛島佳代 | ○ | ||
209 | 258 | 1997/9/5 | 関西訴訟のいま④・あくまで国の責任を明確に/座談会・裁判にかける患者の思い 川上敏行,岩本章,湯元スエ子,小笹恵(*阪南中央病院、岩本夏義、解決策、水俣病患者互助会)/不知火海に生きて(下)岩本廣喜さんの生涯 牛島佳代(*申請協、漁協、)/新潟水俣病をめぐる人々・坂東克彦さん④/「ごんずいのがっこう」に15人(*吉本哲郎、相思社、沢畑亨)/水俣病日誌/環境庁の研究会発足・水俣湾の教訓引き出す/仕切り網撤去始まる/熊本県発表患者処分状況 | ○ | ||
210 | 259 | 1998/1/5 | 今こそ問われる認定制度の役割・政治決着後の救済の道 宮澤信雄(*総合対策医療事業、吉井正澄、もやい直し、原田正純、水俣病対策課)/関西水俣病訴訟控訴審傍聴記(上) 有馬澄雄(*判断条件、津田敏秀)/書評・宮澤信雄著「水俣病事件四十年」を読む 富樫貞夫(*NHK)/水俣病全国連が解散・果たして被害者の思いは晴らされたか(*司法救済システム、和解)/新潟水俣病をめぐる人々・坂東克彦さん⑤/水俣病日誌/相思社、有馬氏と松崎氏が新理事に/水俣フォーラム発足 | ○ | ||
211 | 260 | 1998/5/5 | もやい直し その現状と課題・山田忠昭/教訓生かし地域再生へ背景に社会状況の変化/市民による展開こ そ必要/キャッチフレーズ政治的に集約/イベントの連続つかめない実態/「排除の論理」解きほぐそう/関西水俣病訴訟控訴審傍聴記(下) 有馬澄雄/書 評・水俣病患者連合編「魚湧く海」/第3回水俣病事件研究会/全国から40人以上が参加 水俣病発生の謎解明/新潟水俣病をめぐる人々 坂東克彦さん/芦 田弁護士に触発されて動く/よみがえるか水俣湾 仕切網完全撤去とその後を振り返る/政府解決策による対象者最終的に一〇三五三人/水俣病日誌 | ○ | ||
212 | 261 | 1998/8/5 | メチル水銀中毒症とは何か/二宮正/四肢感覚障害ほぼ100%に出現/大脳皮質の破損 調査で明白に/ 抹消神経障害を否定 浴野氏 証言/関西水俣病訴訟控訴蕃/有馬澄雄/論盲明快な感覚障害中枢説/裁判長も身を乗り出す/難航する新潟水俣病資料館建設/ 丸山定巳/多様な患者の在り様に触れる/追悼 鬼塚巌/我が道を貫き記録に生きた男の死/山下善寛/新潟水俣病をめぐる人々/坂東克彦/訴訟準備へ、幹旋 は不成立/相思社理事会報告/紙代・カンパ納入のお願い | ○ | ||
213 | 262 | 1999/3/5 | 覆された不服審査会裁決/チッソだけに和解を処理させるための「代価」/県はご都合主義の恥をしれ 他 | ○ | ||
214 | 263 | 1999/7/5 | 複眼の人 川本輝雄/果敢な闘争と冷静な視座/現場感覚が状況切り開く/川本輝雄さん追悼特集/一期一 会の想い深く-川本さんにささげる-緒方正人/水俣病責任の三重層/並はずれた活動家の非凡と必死/辛い川本さんの死 高倉史朗/川本さんと地蔵さんはラ ディカリストだった 旗野秀人/川本氏 略歴/水俣病日誌/20年ぶりの認定-環境庁の裁決放置問題/闇に葬られかけたYさん/患者切り捨ての姿勢明らか /「水俣巡礼」/岩瀬政夫 | ○ | ||
215 | 264 | 1999/12/5 | 世界に内向きだった日本の研究/今こそ”認定”医学からの脱却を/水俣病日誌/関西水俣病控訴訴訟蕃 第二十四回/第二十五回 口頭弁論/三浦証言の概要/原判決の誤りが明白に/正しい大脳皮質障害説 原告全員が水俣病である/解説 新たな病像論を提示/ 証拠に基く合理的判決を/二宮正/7回目の水俣展で6万人来場/水俣フォーラム 服部直明/見応えあった大阪展/川本輝雄さんを偲ぶ東京の集いに200人 余/「負の遺産」次代に語り継ごう/土本監督 ビデオ「回想」を制作/収支報告 | ○ | ||
216 | 265 | 2000/9/5 | 関西訴訟控訴蕃 結蕃に寄せて/有馬澄雄/「四肢末端優位の感覚障害はメチル水銀中毒症」/医学のパラ ダイム転換へ/原告らの苦しみどう評価/原告4氏に聞く/18年は走馬灯のように/川上敏行/意見陳述何度も下書き 岩本章/小笠恵さん 「裁判のことは 頼む」/坂本美代子さん/活動広範化…あり方検討の時期/書評/「証言水俣病」死者と未生の者のほとりに立つ者の言葉 システムに順応し暮らした市民の水 俣病観「水俣市民は水俣病にどう向き合ったか」/胎児性患者と共に-カシオペア会の10年/ほっとはうすできずな深める | ○ | ||
217 | 266 | 2001/8/5 | 関西訴訟控訴蕃判決を読む/富樫貞夫/国と県の不作為責任認める 中枢説、ほぼ原告の主張通り/原告団 に聞く/関西訴訟 大阪高裁判決/国は我々に死ねというのか/坂本美代子さん なんで患者が泣かなあかんの?/上告に涙が止まらんかった/岩本章 副団長 /転換期を迎えた相思社の活動のあり方(答申)/Ⅰ 一九八九年答申以降の相思社の活動と今次検討委員会の発足/Ⅱ 今後の相思社活動のあり方(要 約)/1 相思社の存在理由と今後果たすべき役割/2 具体的な活動指針/3 活動を支える組織体制/Ⅲ 残された課題 | ○ |
最終更新日 08/12/2011 16:52:58