■水俣病歴史考証館の展示の一部をご紹介します。
パネルの貸し出しもしております。
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不知火海(八代海)の地形は変化に富み、魚や貝が産卵する場所もいたるところあって、たくさんの種類の生き物たちが暮らしている。 |
2、チッソ |
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チッソが作り出した素材を用いた製品は、私たちの身の回りにあふれている。 |
3、原因究明期 | |
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水俣病の原因を知るためのネコ実験に使われた小屋。実験の結果、チッソの排水が原因であることがほぼ分かったが、チッソは排水を止めることはなかった。 |
4,空白の9年 | |
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1970年ごろ、患者が最初に裁判を起こしたとき、支援する人たちが作った「怨」の旗。水俣病患者運動のシンボル的な存在になった。 |
5,認定制度と未認定患者運動 | |
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「自分たちの病気を水俣病と認めてほしい」。未認定患者運動は困難な道のりだった。被害の広がりは未だに明らかになっていない。 |
6,水俣湾ヘドロ処理 | |
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準備中 |
7,健康被害 |
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水俣病患者が手帳に書き残した文字。魚の仲買をしていたこの患者は、1959年ころ、医師から「水俣病ではないか」といわれて入院したが、漁業組合の人たちは「この村から患者が出たら魚が売れなくなる」といって、無理矢理退院させてしまった。 |
8,多様な被害 |
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水俣病が発見された頃、患者は「奇病」「伝染病」とののしられ、兄弟や親類さえ家に寄りつかないという目にあった。長い闘いの末に、水俣病患者はチッソから補償金を勝ち取ってきたが補償金は一方で、中傷やねたみを招き新たな苦痛の一因となった。 |
9,対立から「もやい直し」へ |
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準備中 |
9、残された課題 |
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考証館の展示は「絵で見る水俣病」(ILLUSTRATED MINAMATA DISEASE)として、世織書房から出版されています。
© Minamata Disease Center Soshisha